ZEN麺 Hot News 創刊号
(1998年2月発行)
| 第2章『第3回日本そば博覧会 |
||||||||||||||||
| 「日本新そばまつり97inほろかない」報告』 | ||||||||||||||||
| 1.イベント参加報告 | ||||||||||||||||
| −第1回素人そば打ち三段位認定者22名が誕生− | ||||||||||||||||
|
本年度の全麺協支援イベント「日本新そばまつり971nほろかない」が北海道幌加内町で、平成9年8月29日から3日間にわたって開催された。 幌加内町のそばの作付け面積は約2、200f。自治体単位では日本一を誇っている。 また、同町で生産されるそば粉は国内生産量のおよそ1割を占めている。 従来は秋にそば祭りが開催されていたのですが、本年は全国に先駆けて新そばの風味を味わってもらうため、この時期の開催となった。 29日に開催された第1回全国素人そば打ち名人幌加内大会では、多数の観客が見守 るなかで、全麺協会員市町村などから推薦された40人の出場者が腕を披露した。審査員は高瀬礼文(早稲田大学教授・そば研究家)、中山重成(越前そば道場当主)、阿部孝雄(竹やぶ店主)、唐橋宏(桐屋店主、会津そばトピア会議専務理事)、佐藤道夫(北海道そば研究会長)の各氏、解説は和田五郎氏(会津そばトビア会議会長)が務めた。さすがに全国から腕白慢が集結しただけあって実力が伯仲し、審査員各氏もおおいに頭を痛められたようだ。審査の結果、福島県山都町の折笠氏が最優秀賞の名人位に輝いた。折笠氏は昨年福井県で開催された第1回全日本素人そば打ち名人大会(全麺協後援)でも名人位を獲得し、二年連続の受賞となった。また、この大会は全麺協が制定した「素人そば打ち段位制度」の三段位認定大会も兼ねており、出場者の中から22名に認定証が授与された。さらに、残る18名の方々については、僅差で三段位を逸したものの、二段の実力は充分に備わっているとして、二段位認定証を授与することとした。 30日は「まちづくりシンポジウム」が開催され、午前の部では全麺協顧問の氏原嘩 男氏(信州大学教授)から「日本一のそば産地としての課題」と題する基調講演があり、続いて全麺協会員の富山県利賀村、福島県山都町、山梨県早川町の各町村長から「そばを中核とした町づくり」への提言があった。午後の部では、全麺協顧問の平野繁臣氏から「交流人口を活かした地域ブランド戦略」と題する基調講演があり続いて唐橋宏(前出)、佐藤道夫(前出)、伊藤俊晴(北空知広域農業協同組合連合会参事)、加藤弘(幌加内農業協同組合長)の各氏から「幌加内そばブランド化」への提言があった。また、総括は全麺協顧問の松村廣一氏がつとめられた。 一方、屋外の会場では30、31日の2日間にわたり、地元幌加内町の「そばうたん 会」をはじめ、道内の町村、全麺協会員の出店のテントが軒を並べ、今国各地の手打ちそばや特産物の販売が行われた。全麺協会員では、広島県豊平町、福島県山都町、兵庫県但東町、福井県池田町、長野県阿智村、富山県利賀村が参加し、いずれも予定の600食を上回る1,000食前後の売上げがあった。 期間中は好天にも恵まれて大盛況となり、入場者は目標の倍の2万人となった。実行委員長の北村忠一氏(全麺協個人会員)をはじめ、関係者ご一同の苦労が見事に実を結んだことを心からお祝い申し上げるとともに、全麺協としてもイベントの成功に幾分のご協力ができたことは会員各位のご支援の賜物と深く感謝を申し上げたい。 |
||||||||||||||||
2.段位認定コンテスト |
||||||||||||||||
| −第1回全麺協素人そば打ち段位認定コンテストを実施して− | ||||||||||||||||
|
(1)実施報告 全麺協段位認定制度が発足し、第1回の認定大会を幌加内町で開催することになった。 大会の名称は「全国素人そば打ち名人幌加内大会」とし、幌加内そば祭り実行委員会 と全麺協との共催で実施し、事務局は手打ちそば愛好者のグループ「幌加内そばうたん会」が担当した。認定基準の大枠は決まっていたものの大会運営に関する細部については実績がなく暗中模索の中での作業であった。全麺協事務局および唐橋宏氏(福島県会津若松市)に助言をいただきながら開催要領を全国に発送したのは7月中旬を過ぎていた。参加者は40人とし、全麺協会員市町村・団体から各3名、その他そば道場から各1名の推薦枠を設けた。最終的には開催1週間前に40人に達しホット胸をなで下ろした次第である。北海道での開催であり参加しずらい面も多々あったと思われるが、参加都道府県の内訳は、北海道20人、福島県8人、広島県4人、福井県2人、愛知県2人、長野県1人、石川県1人、栃木県1人、埼玉県1人と全国各地からの参加を得ることが出来た。大会前日に審査員会議を開催した際、道具の持ち込みを任意と規定したことに対する異論も出た。これらの規定については今後、全麺協としての統一マニュアルとして細部検討が必要と感じた。大会当日のスタッフは総勢36名で総務係、選手係、会場係、接待係、出店係の5部門に分けた。スタッフはそばうたん会会員をはじめ、殆どが手打ちそば愛好者が担当した。競技時間は40分で入れ替え10分を含め計50分で4回転する予定であったが、実際問題として今後、競技や入れ替えを含めて60分は必要と思われる。審査集計、段位認定も予想より時間がかかり、終了時間は1時間30分ほど遅れた。三段位認定者は22人だったが、閉会式終了後、審査員と全麺協会員との協議の結果、残り18人全員を二段位に認定することになった。入賞者は、大会賞として名人位から努力賞まで11人、今回は審査員特別賞が1人に贈られ入賞者は12人となった。参加者には参加賞として当日の様子を撮影したビデオテープを後日送付した。前日のレセプションでは手打ち談義に花を咲かせ親睦交流も深めながら、真剣にそば打ち技術を競い合う全国大会としてふさわしい運営が出来たことに関係各位に感謝したい。本町にとって今複の飛躍となるイベントになったことと確信している。 |
||||||||||||||||
| (幌加内大会事務局) |
||||||||||||||||
| (2)段位認定コンテストの傾向と対策 第1回三段位認定大会が行われた「日本新そばまつり97inほろかない」は、全国から40名の参加を得て開催された。審査員長の高瀬礼文氏をはじめ5人の審査員により厳正な審査の結果22名が三段の認定証を手にした。5時間にわたる審査は大変な集中力と体力を必要とするもので、目を皿にして見つめ点数を入れていく中で次のような傾向があることを感じたので紹介したい。
高瀬先生は「全国みな同じ打ち方をする傾向があり面白くない。昔から伝わる伝統的な打ち方をもっと大切にして欲しい。その打ち方には点数を加算しても良いのではないか。それが地方の文化だ。」と言っておられたことがまさにその通りと思う。また、厚さにもかなりの差があった。
全体的にはかなりレベルの差があったように思う。今後は地方の初段、二段位の審査合格者の参考になればと思う。また、技術と理論の理解力の差をどうするか。「そば道」ともいえる技術、知識の確立がこれから求められることになるだろう。 |
||||||||||||||||
| 会津そばトピア会議前事務局長 唐橋 宏 (全麺協段位制度認定審査員) |
||||||||||||||||
3.シンポジウム報告 |
||||||||||||||||
| (1)講演 『そば栽培技術と地域ブランド戦略の意味(講演要旨)』 | ||||||||||||||||
| 講演者 全麺協顧問/信州大学農学部教授 氏原 暉男氏 | ||||||||||||||||
そばによる世界頁献への挑戦 |
||||||||||||||||
| [そばのルーツとその伝搬] ここ数年、アジア大陸のモンゴル、中国、ネパール、タイ、ミャンマーでそばの調査や栽培指導を行っている。諸説はあるが約1万年前、ユーラシア大陸、中国の南部で生れたそばが北は旧ソ連、西はヨーロッパへと伝わり北半球全域で栽培されるようになった。このような経緯を持つそばが日本に馴染み現在、世界一の消費国となっている。そして今、日本を中心にいろいろな形でアジア、ヨーロッパへ新たな話題を提供しようとしている。 [そばによる世界貢献への挑戦] 現在力を入れているのがミャンマーである。ミャンマーは最近、アセアンに9カ国目として加盟した。ミャンマーで有名なのが黄金の三角地帯でのケシの栽培。ケシの樹液は生阿片、ヘロイン、モルヒネの原材料。1885年にイギリスがミャンマー・ラオス・タイの国境地帯に持ち込み少数民族に栽培方法を指導した。第二次世界大戦には日本軍が入りモルヒネ等の提供が行われた。戦後、1948年に独立し40年には16の少数民族が林立していたが現在15の少数民族が政府に帰属している。残りの一つの民族・カレン族がまだタイ国境で出入りを繰り返している状態である。少数民族はゴールデントライアングル、いわゆる黄金の三角地帯に住んでおり非常に貧しい生活を送っている。この地帯がケシの重要な栽培地帯で国連をはじめ世界各国がケシの栽培を止めさせようと努力してきたがなかなかうまくいっていないのが実情である。そこで、日本の外務省、自由民主党、現地大使館、ミャンマーの国境省、国防省、農林省の協力を得ながら私共が昨年からこの黄金地帯の北方の中国国境シヤンリ川でケシが一番多く栽培されてるそのケシに変わる代替作物として.“そば”の栽培が可能かどうかの試験栽培を一年がかりで実施してきた。実際、栽培したところ栽培の可能性が高いことがわかり、これから本格的な活動を行うこととしている。この地域では一部、既に中国産の品質の劣るそばの品種が栽培されている。しかし、日本に輸出できる換金性の高い、品質の良いそばを栽培しなければケシの栽培からの撤退は難しい。そのためにも世界有数のそば消費国である日本で通用する品質のそばを導入し、栽培技術を身につけることが必要である。 そばが世界貢献の一翼を担えれば幸いである。今後、私としてはこのような少数民族の生活レベルの向上に貢献・協力できればと思っている。モンゴルでも同様の試験栽培および調査を行っている。 |
||||||||||||||||
そばの品質とは何か? |
||||||||||||||||
| [消費者に良いそばと悪いそばの区別が可能か?] 次に、大規模にそばを栽培する場合の課題について議論をしたい。特に、ポスト・ハーベスト(収穫)、質管理技術に焦点を絞り世界的な動向も交え検討を深めていきたいと思う。 ところで消費者は品質の良し悪しが区別できるのだろうか。例えば、リンゴでは“ふじ” “つがる”等多様な品種があり消費者はスーパーで「今日は“ふじ”、明日は酸味の強い“紅玉”」というように品種の持っている個性・特性を求めて選択購入ができる。しかし、そばの場合はどうもそこがはっきりしていない。美味しいそばの品種はなんなのか? 美味しいそばの産地はどこなのか? 先がみえない。 [国産そばの地域ブランド名が育たない環境が形成] このような面では幌加内産とか信州産というように、北海道や信州のそばは良いという評判がある。日本人はどうも「標高の高い所、緯度の高い所、比較的気候の冷涼な所」が良いというイメージが強い。これはあの手この手といろいろな品種の導入を駆使した成果であるが逆に、このようなイメージの定着により“産地名”が表に出ず地域ブランド名が定着しない環境が形成されてしまった。例えば、日経新聞の一週間毎に掲載されるそばの相場をみてみると九州の相場が一番悪い。なぜ九州のそばは相場が低いのか?これを明確に応えられる人はいない。製粉してそばに打ってみれば美味しいにもかかわらずだ。 [日本の農産物マーケティング・ブランドには伝統的な部分が多い] 日本の農産物マーケティングには非常に保守的な部分が多い。そばでは生産者・農家、バイヤー、製粉会社、乾麺製造会社、生麺製造会社、そば屋、外食産業等幅広い団体が製品に関係している。どこのそばの品質が良いのかという質問に必ずここが一番だという答えが出てこない。そのくらいそばの品質というものは敏感である。昔から南北、高低という基準でみているが実態は収穫後のそばの品質管理、すなわち、どのような条件で貯蔵したか、湿った所か、乾いたところか、土蔵の中か、天日干しか、野ざらしかで味が決まってしまう。これを化学的に分析してみる前に簡単に見分ける方法として内皮の色の変化がある。鮮度の高い順から緑色一黄色一白色一茶色になる。茶色になるとそば屋は嫌う。化学的にはタンパク質が酸化して食べてみると酸っぱく異臭がする。3〜5年経過した古米と同様である。品質管理が極めて重要である。 [名前だけあって実態がない品種が多い] ポストハーベスト(収穫後)の品質管理の前に品種の問題がある。日本の品種は名前はあるが実態がないものが多い。例えば、ある所で長く栽培され続けてきた「牡丹そば」という品種がある。しかし現在、北海道ではほとんど栽培されていない。牡丹そばは昭和5年、伊達藩紋別で在来品種から選抜して牡丹のような大きな花を咲かせるということで農業試験場が命名したものである。かつて紋別藩の人が東北地方から北海道に持ち込んだものであろう。また、「はしがみ早生」というものが青森県にあるが、これも似た生態である。これは大正7年に青森県の農業試験場で作られたもので非常に優れた品種であるけれども、播種期が1〜2日ずれると収穫が落てしまう。うまくつくれば半反200kg位採れるが播種期が非常に難しい。そういう癖を持っている。「信濃1号」は昭和19年に品種登録、「九州秋そば」は従来、九州で栽培されていたもの。他に栃木県とかいくつかの地域で品種が伝えられているがほとんどの場合、問い合わせても入手できず名前だけである。現在、入手出来るのは「北早生」(牡丹そばから選抜された品種で最も使いやすい高品質なそば)「雪花」は手に入りにくい。「牡丹そば」「信濃1号」「常陸秋そば」「九州秋そば(JA都城)」は入手可能である。入手出来ないものは品種ではない。名前だけあっても意味がない。例えるなら、「信濃1号」は戦艦大和、「はしがみ早生」は戦艦三笠といったところであるから、そばはいかに進歩のない作物であるかがいろいろな資料からわかる。 明治7年から日本にはそばに関する統計がある。その当時の作付面積は約20万fで、最も作付面積が多かったのは明治8年の約21万fであった。その後、減少の一途で現在、2〜2.5万fになっている。ところで10£ ̄当たりの収量は当時とほとんど変わっていない。具体的には明治18年が106kg、明治11年が88kg、近年が70〜66kgと100年経ってもほとんど変わっていない。これは一体誰の責任かというと「それは氏原、おまえの責任だ」といわれるかもしれない。そばの品種改良に約30年従事してきたが、その間、「信州大そば」「赤花そば」等を作ってきたがそばは新たな品種を作ることが難しいという特徴がある。 |
||||||||||||||||
そば栽培の地理的条件と生産技術 |
||||||||||||||||
| [モンゴルの大草原でそばの生産を検討] つい先般、モンゴルに行ってきた。かつて日本が満州に侵攻するきっかけとなったノ モンハン事件のあった場所である。ここはシベリアの一角であり大穀倉地帯で昔、ソビエトがコルホーズ、ソホーズで小麦を大規模に栽培していた所。面積は2万fで現在、何も栽培されていない。トラクター200台やかんがい施設が残念ながら遊休化していた。そこで今、この広大な穀倉地帯にそばを導入しようという試みが進んでおり試験栽培してみた結果、将来、可能性が高いことが判明した。ただ、2万fというと約2トンになり、日本へ輸出することになれば多々問題となるので軽々しくそばの栽培を奨励するわけにはいかない点が今後の課題である。しかしながら、世界は日本のそば市場に注目していることは十分に認識すべきでありグローバル(世界的)な視点でそばを今後、考えていく必要がある。そばの地域ブランドづくりを強調する理由はここにもあることを理解願いたい。私自身としても世界のそれぞれの地理的条件下で、どのようにしたらそばの栽培が可能になるのというのが今後の研究課題である。 [そば栽培の地理的条件とは?] 世界のそばの産地は内陸盆地、特にユーラシア大陸で中国、ロシア、ウクライナ、カザフスタン、ヨーロッパ各国となっている。残念ながら、そばの世界統計は1975年までで、それ以後は「その他雑穀」ということで「そば」単独の統計は抹殺されてしまった。それまでの統計を見てみるとポーランド、スロベニアが多く日本の倍に当たる5万f(1975年)が栽培されていた。産地の特徴としては大陸の盆地で標高の高い所がそばの産地であることは間違いない。特に、そばは水を嫌うので東南アジア諸島の海岸地帯では栽培できない。そのため沖縄県ではそば栽培の歴史はない。具体的には開花期から結実期までの1日の気温の格差が13〜15度以上であるのが最適地である。幌加内は当然この条件に該当する。ミャンマーは標高2、000mで昼間の気温は37〜40度、夜間は20度以下になる。このくらい気温の高低の差があると昨年の結果では種を播いてから49〜50日で収穫ができる。ただし、あまり早く実るため中味が痩せているのが気になる。この点が今後の課題である。従って、そばは内陸盆地で気温の較差が大きい場所が昔からの伝統的な産地である。そのため熱帯であっても、この条件が満たされれば、そばはできる。例えば、インドでもそばはできる。何時作るかというと11〜12月に種を播いて2〜3月に収穫する。けっこう良い品質のものが採れる亜熱帯のブラジルからも輸入した実績がある。ここは南緯15度ぐらいでほぼ熱帯である。その栽培地帯はパラマ州、リオグランド・スール州で標高1、800mの高標高冷涼地帯である。このような場所でもそばは採れる。このように世界中で海に浮かぶ小さな島以外では、そばが作れる可能性があるわけで、オーストラリア、タスマニア、ニュージーランドでも作られ輸出されている。 [地理的条件に適応したそばの生態] 日本で一番そばの反収が高いのはどこだろうか。現在は鹿児島県である。反収は130〜150kgで北海道は110kgである。鹿児島県では海岸に近い鹿屋市、知覧町が多い。台風が終わってから播種し、そして開花・結実期は11月の終わり頃というように気温差の大きくなる時期に播種期を持ってきている。従って、そばは北は夏播き、南は秋播きとなる。播種期が南下する。従って、北から夏のシベリア、冬のインドというようにユーラシア大陸は繋がる。日本列島も同様である。このように、それぞれの国・地域では1万年前から栽培され、その地域の播種期に合わせた品種を選択してきた。品種の選択等によってそばのさまざまな生態型が育まれたといえる。 [秋そばの特性とそばの品種の活かす楽しみ] そばには“夏そば”と“秋そば’がある。中でも、秋そばには、やっかいな性質がある。そばは本来、短日作物である。秋そばは日が短くなると芽を付け、花を咲かせ、結実するという性質(短日性)を持っている。これをうっかり6月に播くと実が採れない。そばは高温に対して弱い。夏そばというのは夏に播いて日の長い時に作って収穫する。秋でなければ採れないのが秋そば。逆に、そばを秋に播けば収穫できるが収量は少ない。品種が夏型か秋型を十分確認する必要がある。一番安全なのは秋に播くことである。その土地の霜の降る時期から逆算して70〜80目前に播いて実がならなければ、その品種は不適ということになる。世界中でさまざまな品種が分化して現在に至っているわけである。また、その地域の農業形態、特に作付けとの関係もあるが幌加内のようにそば単作の場合は、いろいろな作物との複合の場合とはその扱いが異なってくる。何を主に、何を従にして栽培をするか昔はそれぞれの地域で決まっていた。しかし、現在それが乱れてしまっている。楽しみながら農業を営むということは品種の特性を理解し栽培計画を作ることである。多くの品種が分化しているということは使い道も多いことを意味していると理解すべきである。 |
||||||||||||||||
そばのブランド化戦略の意味とその手法 |
||||||||||||||||
| [高品質な玄そばとは何か] 当然のことながら「鮮度の保持」「水分含量」「製粉歩留まり」「整粒」等が問題となる。鮮度の保持とはどこまでなのか。例えば、マイナス7℃の状態で水分含量14%に保存できれば原理的には1〜2年鮮度が保持されることになる。ある食品会社で「冬眠米」という商品を作った。米を眠らせて真空パックにして何時でも新米の味が再現出来るというものである。具体的には、ある種の脱酸素剤を入れて米の呼吸あるいは代謝を止めるのである。これをそばに応用して「冬眠そば」を作ってみてはどうであろうか。これも鮮度保持の一つの方法である。この方法は常温で保管できるという長所がある。ただし、費用がかかる問題がある。 [水分含量への対処方針] 最も、そばに適した水分含量は15%である。14〜17%なら良い。12%を割ると手の施しようがなくなる。18%以上だとすぐ変質してしまう。従って、中国で収穫したものを17%で船積みし日本に到着した時は15%に保持されていれば良いわけである。よくそばの専門家はそば粉を手にギュと握り、手を開いてみていくつに割れるかで水分含量が識別できる。三つに割れると14〜15%、バラバラは10%、一つに固まったままは18%という具合である。水分含量によって打つ際の水回し水の量を変える。水分含量を一定に保持することはなかなか難しい。収穫時に雨が降っても収穫せざるを得ない。その際、人工的に乾燥することが必要となる。収穫後は劣化が進むので乾燥調製施設にどんどん送り込むことになる。そのため乾燥が行きすぎ水分含量が少ないものができる傾向となる。一定の乾燥調製施設が整備されていても天候によって条件の異なる玄そばが持ち込まれるわけで水分含量を最適の15%軽度に保持することは至難の技である。特に、幌加内のように量の多いところは大きな課題である。 [そばのブランド戦略の必要性] 茨城県に金砂郷町という所がある。今から20年程前に農水省とそば協会の共同で「国産そばの安定多収」を目的とする協議会を設立させた。その際の現地視察で訪れたことがある。当地は小粒の納豆の産地で有名で納豆の大豆選別機を使ってそばの選別を行っていた。ある大きさ以上の玄そばに多少磨きをかけて出荷したところ、ユーザー(そば屋、製粉業)は、それを見て驚きました。すごいものを作ったなと。このようなユーザーの評価の積み重ねで「金砂郷ブランド」が確立し高い値で取引が出来るようになった。1俵(45kg)当たり1万5〜8千円の商品を作れるということは、そばにおいてもブランド化のための戦略が重要であるということを意味している。そのためには、最近“顔の見える農業”とよく言われるが例えば、消費者から「そば粉が酸っぱい臭いがする」という苦情があった場合に、「どこに、どのように保管したか。冷蔵庫にどのように保管すべきか」等を臨機応変に即座に説明出来るようにならなければならない。“顔の見える農業”とは従来、農業に欠けていた品質保障をするという意味である。製品に名前を入れるということは、そばについて、さまざまな知識を持っていなければならないということである。努力をして知識の蓄積を図らなければならない。ブランドが確立されれば多少周辺の玄そばを取扱っても美味しければ違いを見分けることは困難なので、消費者から持続的な評価を受けられる。ブランド戦略は非常に重要である。 [大規模栽培の課題1「幌加内産挽きたて東京出荷」ブランドの提案] もう一つ大事なことは作付規模が大規模化するとどうしても播種期が決まってしまうことである。大きなロータリーシーダーで播いていく。1週間、10日前に播種したものは原理的には1週間、10目前に収穫できるはずであるが現実にはそうはいかない。遅く播いたものを早く収穫しなければならないことが起きる。大規模化すれば収穫の遅れは致命的である。そのためトラクター、汎用コンバイン、搬送用トラック、乾燥調製施設等の収穫ラインのシステム化が重要になってくる。場合によっては集中化ではなく分散化を図らなければがならない。例えば、新しいアイデアとして別の場所に調製工場をつくるということも考えられる。玄そばを産地で、もっぱら収穫し2日程度で搬送できる東京、または、地価の安い東京周辺の茨城等に調製工場をつくり、そこで製粉し「幌加内産挽きたて東京出荷」というようなブランドを作ってみてはどうであろうか。何もかも産地で行うという概念にとらわれる必要はない。自由な発想が今後重要である。 [大規模栽培の課題2 収穫期をずらすための複数品種の導入] さらに検討すべき事項は、限られた北海道の短い栽培期間の中で品種を変えて収穫期をずらすことが出来ないかという提案である。同一品種であれば収穫期は同じである。これを克服できる品種があるのか。昔の記録を調べてみると6月の初め、5月の終わりに播いて、結構収穫できた品種があった。また、九州では年3度収穫したという記録もある。春播いて夏収穫、夏播いて秋収穫、秋播いて冬収穫するというものである。このように幅の広い適応性の広い遺伝資源が今、日本には枯渇してしまい遺伝的なキャパシティが小さくなってしまっている。そのため世界各国、例えば、シベリアから中国雲南省までのさまざまな品種をもう一度収集整理分析し、この短い栽培期に対応できる最適な品種を見つけだす努力が必要である。大産地には試験研究能力が求められる時代といえる。そのためにも国内外の産地間の交流がこのようなブランド化のためには必要である。このような課題の克服が大産地幌加内ブランドの確立につながるわけである。 |
||||||||||||||||
そばで世界貢献する夢の実現に向けて |
||||||||||||||||
| 今後、私は前段で話したようにそばで貧しい人々を救いたい。そばが国際貢献に結び付くことに全力を尽くしたいと考えている。全麺協の会員の方々の協力も願いたい。最後に幌加内が名実ともに日本のそばの最高の産地として発展されることを願って講演を終わりたい。 | ||||||||||||||||
(2)講演 『まちづくりシンポジウム統括(講演要旨)』 |
||||||||||||||||
| 講演者 全麺協顧問 松村 広一氏 | ||||||||||||||||
| 本シンポジウムでの各基調講演、パネルディスカッションでの貴重なアドバイスを集 約・整理する意味で次の二点について意見を述べたい。 |
||||||||||||||||
「日本新そば祭り97inほろかない」と 「まちづくりシンポジウム」の同時開催の意義 |
||||||||||||||||
| [そばは地域振興の統一テーマにあらず?] 従来、1日間のそば祭りが3日間続けて開催されることになった今回のイベントには、さまざまな意義深い要素が隠されていることを認識する必要がある。私自身、幌加内を訪れるのは今回で3回目。全麺協の一員として町、農協、実行委員会の方々と今回のイベントについて、率直な意見交換を過去2回実施してきた。 当初の段階の本イベントはどのような位置づけであったのか思い出していただきたい。当初は、行政サイドが実施する開基100年行事とそば祭り実行委員会が行うイベントとは関連性の薄い、それぞれ独立したものであった。その根底には、「そば」は町全体の地域振興のテーマとはなり得ないという行政サイドの基本的な認識があったためである。「そば」をテーマにすれば農業分野だけの議論となり町全体を総括するものとはならないという考え方である。実行委員会側もこの論理に対抗する理論を持ち合わせていなかったのも事実である。この考え方が本町の地域振興における最大の課題であると私達(全麺協)には感じられた。この地域振興における大きな誤解を解きほぐす作業が、今回の「祭り」と「シンポジウム」同時開催の大きな意義であることを町の指導的立場におられる方々は、しっかり理解しておくことが重要である。この点が理解されれば今回のイベントは、ほぼ100%成功したといえるからである。入場者数や売上額の問題はこの際、二の次である。 [そば振興と地域振興の接点を探れ!] 時系列的にわかりやすく、これまでの町における論争のポイントを列挙し整理してみ よう。第一は、3日間の長期開催への不安(行政・農協・商工会・地域リーダー間の協力関係)、第二は、開基100年記念との関係・位置づけの整理(「そば」は町全体の地域振興テーマとなり得るかどうか)、第三は、実行委員会事務局と行政との連携のあり方、第四は、全麺協との連携のあり方である。ここで重要なポイントは第二、第三の点である。町づくりで大切なことは、平野先生が基調講演で指摘された住民共通の目標・シンボルの設定である。住民一丸となって取り組める合言葉づくりである。これが、先生が強調された『地域cI(シティー・アイデンティティー:地域の独自性の確立)』の本質的な意味である。地域cIは、外部に向けての情報発信と同時に、内部に向けての組織・意識変革が重要な要素となる。地域を変革し発展させるためには構成員個々が、まず地域を変えていこうという強い意志を持たなければならない。そのためには、わかりやすい合言葉とシナリオ、そして、めざす目標・イメージが必要である。地方分権の時代の到来が身近に迫ってきた中で、中央・地方双方とも従来の縦割行政から横断的な取組が求められる時代となってきた。これが地域経営の時代が来たという所以なのである。そのためには幌加内町独自の横断的、地域経営的視点にたったシンボルテーマの設定が必要なわけで、「そば」は農業分野しか語れないという発想は地域資源を狭義に解釈する見方であり、かつ時代遅れな解釈といわざるを得ない。地域振興上の経営資源として「そば」を広義に解釈することが自治体行政推進上大切である。幌加内町が誇れるテーマは生産量日本一のそばをおいて何があるのであろうか。自信を持っていただきたい。 [「そば」をどのように地域振興のシンボルとして育て、地域住民に浸透させていくのか] 「そば」を地域振興の柱とするならば「そば」をどのように各行政分野に関連させていくべきかを私案を交えながら議論していきたい。現在、自治体が抱えている課題は数多いが中でも産業振興(農業・商工業・観光)、福祉、教育、環境(ゴミ対策)対策が重要な課題となっている。「そば」を地域振興のシンボルテーマとするならば、「そば」をこれら課題に上手に絡ませながら直接、間接的に効果を生む工夫が求められる。これが成功すれば、「そば」は住民にとっても非常に身近な存在になるはずである。では、それぞれの分野における工夫のあり方を考えてみよう。 【産業振興(農業、商工業、観光)と「そば」】 @農業独自のマーケティング戦略(地域マーケティング等)の創造が必要 農業分野には、従来の産地形成戦略(系統出荷)に加えて、交流人口を活かした地域内市場形成戦略が必要になって来ている。今回、紆余曲折の中で、「交流人口を活かしたマーケティング戦略」を検討議題に加えたことの意味を内外に十分説明する必要がある。パネルディスカッションの際、上空知農業協同組合連合会の参事はマーケティング発想の必要性を訴えた。この間題提起は正しい。マーケティング発想が一番遅れているのが農業分野であることは自明であるからである。しかし、従来の企業社会のマーケティング理論をそのまま農業に特に、そば振興に結び付けようとする議論には賛成出来ない。今回の「そば祭り」と「まちづくりシンポジウム」を企画した主催者の意図が理解されていないと言わざるを得ない。どこが問題なのか。それはマーケティングの重要性を訴えながらも従来行っている多くの農協の戦略がマーケティングとは、ほど遠いセールスの域を出ていないからだ。幌加内町は2、200fという大規模なそば生産地に成長した。この大量のそばを出来るだけ高値で売り込むことは相当の努力を要する。場合によっては、まとめて売り込む必要から買い手市場にならざるを得ない場合もあろう。買い手市場から、どのようにすれば売り手市場に転換出来のるかがJA幌加内の大きな課題なのである。そこに気づいたからこそ行政も農協も今回のイベントを企画したのだ。この点が肝心の広域農協には理解されていないという印象を受けた。このことは、JA幌加内組合長の発言内容からも従来とは異なる戦略の検討が現在、進行中で、さまざまな付加価値戦略が実験・検討されていることが参事の発言の後、改めて誤解のないように説明が加えられたことからもわかる。上空知ブランドに幌加内ブランドが飲み込まれるのには個人的には賛成出来ない。上空知という地名は本州ではなじみが薄いし、かつ現在、取り組まれている“元気村ブランド’’は農産物ブランドとして相応しくないばかりか、本州では各地で多用されている。ならば幌加内を前面に出した方が同じ努力をするなら励みになる。全国的な傾向として系統出荷を中心に少品種多量生産型の産地形成に慣れている地域では交流人口を活かした地域内市場形成の取組みに失敗している場合が多い。それは販売戦略が消費者対応ではなく多くの場合、市場関係者対応であるからだ。これではブランド形成どころか出荷の時期調整による有利販売戦略の域を出ない。ブランド形成のためのマーケティング戦略とはほど遠く、一般農産物として埋没するだけである。 A農産物のブランドは地域ブランドづくりから また、ブランドに関する理解にも疑問がある。狭義の意味ではブランドとは他社商品との区別を図るための商標であり、「消費者が他とは違う特徴と価値を認め、継続的に購入・利用する意向を持った商品やサービスのこと」である。しかし、農産物は全国どこでも生産することが可能なものが多く差別化は困難であり基本的にはブランド化は難しい商品群といわれている。市場関係者には品質ランクとしてのある軽度の差別は存在するが消費者が敢えて選好して継続的に購入するブランド農産物までに育成することは至難の技である。従って、商標を付けたからといってブランド化が進むと考えるのはあまりにも安易である。農産物のブランド化の事例を米で見てみると、 (T)地域名と品種の組合せ(新潟産コシヒカリ等) (V)地域品種(アキタコマチ) (V)地域・品種名とは無関係な独自の商標(はえぬき、どまんなか等) (W)品種名(キララ397等) 等がある。米の場合は地域と品種が大きな賦買の動機となっている。いわゆる地域の気候・土壌特性や品種の持ち味が食味に大きな影響を与えているからだ。生産地(生産者)と品種の組合せが米のブランド名には有効である。駅弁のブランド化(お洒落に言えばワインの地域商標)と似たようなところがある。 B幌加内に「そば」の地域内市場を構築しよう、これは幌加内ブランド形成への道 では、「そば」の場合はどうであろうか。第一部の「日本一のそば産地としての課題」と題した氏原顧問の基調講演の中で、品種による食味の区別はほとんど困難という指摘があった。これはマーケティング戦略上重要な要素である。何を持って消費者にアピールすべきなのか。それは地域のイメージづくりしかないことを意味している。麺類には御当地ソングではないが地域名を冠としたブランド名が消費者からは指示されている。そこには地域の風土・人情・食文化や職人気質が色濃く反映され旅のイメージをかき立たせてくれるからではないだろうか。「そば」とは不思議な食品で、旬が重視され美味しければ距離をいとわず駆け付け味わうという人々がファンとなっている。今回のそば祭りでも旭川をはじめ、かなりの地域から「そば」を求めて人々が集まって来たことからもわかる。ある面では宗教じみているとさえいえる。この「そば」特有の地域ブランド形成のための戦略が大規模産地においても不可欠であるという認識がこのシンポジウムの開催に結びついていることを忘れてはならない。町内にも蕎麦屋を作ろうという動きもその現れである。「地域イメージを育てること」は「地域ブランドづくりに直結」することであり今後の幌加内の「そば」ブランド形成戦略は、「地域内そば市場形成」であることを認識することが今回のイベントの目的である。 【福祉対策と「そば」】 厚生省人口問題研究所は2025年には人口の25%が65才以上の高齢者で占められるという推計を発表した。福祉対策は自治体にとって最も緊急な問題となってきた。例えば、愛知県の足助町では福祉対策を次の三段階に分けて施策を組み立てている。 第一は「予防医学」の段階で「そば」の活用は十分考えられる。「そば」の持つ医学的効用(高血圧症対策、ダイエット等)は多い。また、そば打ちは適度な運動を与えてくれる。そば打ちは土を耕す心にも通じ、ボケ防止にも貢献するはずだ。今回からスタートした「素人そば段位制度」はこの運動の励みになる。ゲートボール以上に、“食べる満足、作る喜び”が楽しめる。良いことずくめである。 第二の「生きがい創造」の段階は非常に重要なポイントである。健康を維持するためには“張り”のある生活をすることである。目的意識を持つことであり適度な仕事によって地域に貢献し、さらに経済的メリットが付加されるものであればなおさら元気がでる。「そば」による地域内市場が形成され交流人口が増加すれば職場が生まれる。高齢者の生きがい創造の場が誕生するわけである。高齢者の知識と経験が地域に大きなメリットをもたらす。 第三の「寝たきり看護」の段階においても「そば」を共通話題としたコミュニケーションが生まれヘルパーの方々との心の交流がスムーズになるはずだ。幼稚園、小学校の学童が打った「そば」を味わうのも待ち遠しい楽しい食事になることだろう。世界さまざまな、そば料理も高齢者には五感を刺激し体に優しい食事になるのではないだろうか。子供と高齢者の交流も生まれるかもしれない。このように、工夫によっては「福祉とそば」はいろいろな展開が考えられる。 【教育・環境対策と「そば」】 最近、殺伐とした事件が多い。我が国のどこかが異常を来しているという印象を受ける。教育・家族問題の再構築が求められている。「そば」を通じて「農業」「環境」「文化」「躾」へ関心を高めてはどうであろう。これを私は、“食のメディア効果”といっている。そば打ち段位制度によって子供たちも貴重な技術を身につけることが出来る。大人になってきっとその技はいろいろな面で役に立っことだろう。子供そば打ち名人イベントも面白い。また、そば打ちは家族の中で“お父さん・お爺ちゃんの復権”にもつながり家族のコミュニケーションの増進にも寄与するはずだ。、まちを美しくする意味も住民全体に理解される。 以上のように、「そば」は農業振興面だけではなく、さまざまな行政分野に良い関わりをもたらす。これが知恵というものである。分権時代を迎え、「そば」は産業課の所管と単純に割り切る時代ではない。横断的なプロジェクト(タスクホース:特命プロジェクト)として対応すべきである。 そば生産量日本一から品質日本一へ、そして、そば文化活動日本一への道が「幌加内そばブランド確立」への道へと直結するはずである。これが“地域経営”の意味で もある。また、地域経営は地域の総力戦という所以でもある。 |
||||||||||||||||
イベントの後始末が”地域変革の瞬間”となる!鉄は熱い内にうて! |
||||||||||||||||
| イベントで重要なことは後始末である。来場者が多数いたとか売上額が予想を上回ったということだけに一喜一憂していては地域振興イベントの目的を達成したとはいえない。イベントは目的ではなく手段であることを忘れてはならない。民間の集客イベントとは異なるのである。まず、確認すべきことは最低、次の三点である。 第一「目標達成のチェック」である。目標とは前述したように「そば」を町の地域振興のシンボルとして位置づけることへの町民合意である。2日間で15、000〜20、000人の人々が集まった。主催者の予想を上回る動員と思われる。そばの魅力は大きく、町民も我が町も捨てたものではないという自信を持ったはずである。町全体のシンボルとなり得るのである。これは全国から参画した全麺協の幌加内町への期待でもある。前述した「そば」の各分野への展開方向を参考にしながら住民に対して問いかけ、早急に合意を採るべきである。理事者が宣言するだけでも効果は大きい。 第二「協力者への感謝」である。イベントを実施すると今まで気づかなかったような特技やリーダーシップを発揮する方々が登場する。出展者(全麺協自治体等)、住民、協賛団体へ感謝状を贈ることを提案したい。感謝状を贈られて不快に思う人はいない。主催者の気配りは来年のイベントの成功への第一歩である。 第三「次の段階の目標設定」である。これが一番大切な作業である。富山県利賀村は世界そば博覧会の後、全麺協を組織化した。福島県山都町はそば銀行、そばの里の設置、そば振興係長の導入を行った。福井県池田町では素人そば段位制度の発足に貢献し隣接の今庄町・美山町との広域連携の芽を育てた。そして、北海道幌加内町では・・・。 当面、交流センター内のそば処、そば道場を軌道に乗せてもらいたい。生産・飲食・購買の一貫したそばマーケットを構築してほしい。そして、各行政分野に「そば」を絡ませた施策の工夫を促し文字通り日本一のそば産地の名声を上げてもらいたい。 最後に、全麺協顧問の平野繁臣先生の「イベント効果論」をもう一度噛みしめて飛躍の志を確認したい。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
4.運用マニュアル |
||||||||||||||||
|
『97,全国素人そば打ち名人幌加内大会』実施要領 参加・受験申込者 推薦書 審査表 認定証 |
||||||||||||||||