ZEN麺 Hot News 創刊号
                (1998年2月発行)

第3章『会員市町村の地域振興の紹介』

1.広島県豊平町「2000年日本そば博覧会誘致決定」
 そばの里づくりが始まって10年が経過した。暗中模索の中で栽培から手打ち加工まで手づくりで計画を進めてきた。そして本年の手打ちそば技術の指導者である「翁」の店主、高橋邦弘氏が町内に「達麿、雪花山房」をオープンさせることになった。高橋氏が本町に移り住むということは本町の魅力づくりにとって記念すべき年といえる。これを起爆剤に平成12年には全麺協支援による「日本新そばまつり2000inとよひら」を開催することを現在計画している。このイベントを通じて農業振興を主眼とした「そばの里づくり」を目指すとともに本町の地域振興に結びつく個性あるイベントととして今後、発展させていきたいと考えている。現在、計画しているイベントのテーマ・内容は次の通りである。
(1)そばの文化を巡る
(2)そばと人間の関わりの歴史(歩み)
(3)そば料理の発掘・開発
(4)日本のそば、世界のそばの新たな発見
(5)手打ち技術の普及のための手打ちそば共演コンテスト
(6)各地の特色あるそばの文化の交流
なお、本イベントは同年に開催される「第15回国民文化祭ひろしま2000」の一環として位置づけられるよう計画している。この催しは全国各地で日常的に行われている文化活動を全国規模で発表し交流を行うことにより文化活動への関心、理解を高め新しい芸能、文化の創造を促し併せて地方文化の発展と国民のより一層の充実を図ることを目的としている。「日本新そばまつり2000inとよひら」は、この催しの中の「アジア・食の祭典」の一環として開催するものである。そば以外にも本町の伝統的な郷土芸能である神楽、田楽も披露する計画となっている。町内の田楽保存会三団体を招いて計六団体で農村の田楽絵巻「田楽、花田植」を演じる計画がある。また、神楽は町内十団体により14時間のマラソン神楽大会とする計画である。これら郷土芸能は本町が誇りとするもので、そばまつりと相まってこのイベントに花をそえるものとなろう。なお、このイベントを契機に地域経営を発展させる施策として本町にある道の駅「とよひらどんぐり村」を拠点に中国地方の他の「道の駅」間との相互の連携の強化を図る広域・ネットワーク連携活動(街道づくり等)にも挑戦したいと考えている。
 最後にこのような本町の意気込みをご理解の上、全麺協の会員市町村の絶大なご協力を賜りたい。



2.宮崎県日之影町「直売施設整備と特産品開発システムの構築」
 日之影町は、宮崎県の最北山間部に位置し、県内市町村でも第3位の広さにあたる総面積277.8Kuを有し、このうち約9割が森林で、水稲、畜産、しいたけ等を中心とした少ない耕地を生かした複合経営が営まれている所である。他の山村の例にもれず過疎化・高齢化が進み、ピーク時に16、000人いた人口も現在6、000人を割り込み特に若年層の減少は本町の産業構造や地域活動に大きな影響を与えている。このため本町では、山村に住む者に山村の良さを再認識させ自信と活力に満ちた魅力あるまちづくりに積極的に取り組んでいる。
 地域産業おこしの推進に関する施策について本町では、昭和58年に発足した「日之影町特産品開発協議会」に毎年年間200万円の補助金を出し、多様な消費者ニーズに即応じる多品種少量で高品質な商品開発を支援している。
 昭和60年4月に開通した国道218号線日之影バイパス沿いには特産品直売店「村おこし屋」を4店オープンさせた。その建設費の半分を町が助成し残りの費用と運営は各地区のグループが責任を持つ仕組みである。
 さらに宮崎市や福岡市にアンテナショップを開設し消費者の動向をつかむためのマーケティング活動を展開している。
 毎年5月のゴールデンウイークには、「村おこしロードフェスティバル」と銘打って各「村おこし屋」を拠点としたイベントを開催しているほか、年間を通じて各地の物産展にも積極的に参画している。「村おこし屋」開設による市場の拡大は生産者にとって働く中に生き甲斐を見い出し多大な効果をもたらしている。
 さらに平成6年10月には第3セクターによる「日之影町村おこし総合産業株式会社」を創立し村おこし事業の推進・各観光施設の管理運営等、町ぐるみの企業化を図った結果、平成8年度の総売上額は3億円となった。
 なお、一層の所得の増大、就労の場の拡大と合わせて若者がいっでもUターンできるまちづくりを目指したい。
(次号では日之影町の地域の活性化に関する詳細な施策について掲載する予定である。)



3.福島県山都町「そば銀行制度の創設一文脈あるそば振興への取組」
 福島県、山形県、新潟県の三県境に連なる飯豊連峰を北にし、南に細長く伸びる人口4、900人ほどの小さな町で町の約8割が森林を占めるまさに山の都である。谷間には小さな集落が点在し、わずかな農地を耕している。
 昭和59年に県の指導のもと、商工会主導で商工関係の事業により、むらおこし事業がスタートした。以来、「そば大学」によるそばの学習会を年3回開催したり、山都のおいしいそばをたくさんの人に食べていただこうと「新そばまつり」を毎年開催し、今では、予約チケットが数日で完売するほどの盛況へと成長した。
 平成元年には、そばによるむらおこしの情報発信の場として資料館の建設構想が出され行政が主体となり準備を行い、平成6年春にそばの手打ち体験コーナーを備えた「飯豊とそばの里センター」をオープンさせた。こうした施設の見学や町内のそば屋に年間20万人からの人々が訪れている。
 また、平成4年の約45fのそばの作付け面積が現在80fに拡大し年々増加傾向にある。しかしながら交流人口の増加に対応できず原料である玄そばの確保が課題となってきた。そのため、これらのそばを集荷し高品質のそば粉を生産するため、平成6年に「そば乾燥調製施設」を建設し、町営施設のそば屋をオープンさせ一般の方々にも、そば粉等を供給している。この施設の稼働に加え小規模農家が栽培した自家用玄そばを預かり、最良の状態で乾燥保管し、いつでも必要なそば粉を引き出せる「そば銀行」システムを開始した。この銀行制度を利用すれば必要な量を必要な時に引き出すことができる。ただし製粉料として多少目減る分はあるものの、いつでも新鮮なそばを手にすることが出来るメリットの方が大きく好評であり百数十名の利用者がある。この制度によって町外の方々にもそば粉を供給することができるようになり全国各地から注文が相次いでいる。
 近年そば打ちを楽しむ人々が増え、山都町へそば粉を求めに、また、手打ち体験に来られるようになった。地図で見つけるのに苦労する小さな山都町が「そばの里山都」として全国の方々に知られるようになったことは町民に大きな自信を与えている。これも全麺協との協同活動の成果と感謝している。今後、ますます会員間の連携を図り、地域づくりに反映させていきたいと考えている。(次号では、山都町のそばの品質確保や少規模でのそば栽培にも対応できるそば銀行の詳細な事業概要を紹介する予定である。)



4.山梨県早川町「焼畑農業博物館とそのシンクタンク機能の整備」
 私たちのまち、早川町は、日本三大急流の一つ、富士川に注ぐ南アルプスを源流として早川の流域六か村が昭和31年合併して今日に至っている。県都甲府市の南西に位置し、甲府盆地から眺めると富士山に次ぐ山、北岳(3、192M)を主峰として連なる南アルプス連山の真っ直中にある寒村である。地形は丘陵で平地がなく米作不適地で長い歴史の中で雑穀栽培型の焼畑に依存する生活を営んできた。それは昭和35年代まで続いてきた。
 町ではこうした消えんとしている焼畑の文化資料を残し後世に私たちの先人が営んできた焼畑文化を伝え、現在の地域づくりにもそれを役立てたいと思い立ち教育委員会が数年かけて資料収集を行ってきた。
 平成元年には、698点にのぼる資料が重要有形民俗文化財として国から指定を受け、また、この地の焼畑農耕の手法を重要無形文化財として同時に指定された。そして、これらの資料は焼畑農耕が最後まで残った本町の最奥部の地、秘境と言われてきた奈良の地の奈良田民俗資料館に、保存・展示をし、多くの人に訪れていただいている。
 焼畑では 粟や小豆や大豆と一緒にそばを作付けしていたとのことである。この地の食生活として、そばは主要な食料として長い間大事にされてきた。
 また、今でも私たちの食生活の中では欠くことのできない穀物である。地域の食文化を考える時、これからもそばの文化を大切にしていきたいと考えている。私たちは焼畑資料館の充実に合わせ、そば栽培の奨励制度を設け生産の拡大を図ったり町営そば処もオープンしている。
 また、秋のイベントとして紅葉とそば祭りを開催している。そばを主体とした行事で
は婦人が奮起し活気を醸し出している。
 一方、町が主宰する上流文化圏研究所では、食文化研究の中核にそばを位置づけ、そばをテーマにした地域の食文化や地域振興を模索しているところである。
 山村過疎地の課題と合わせて、そばに関しての地域活性化や地域振興の情報の提供を本誌に期待したい。



5.会員イベント開催情報

(1)茨城県金砂郷町の常陸秋そばフェスティバル
−県・町・周辺地域が一丸となった取組−
 平成9年度に全麺協に加入した茨城県金砂郷町で、昨年11月22〜23日に「常陸秋そばフェスティバル」「そばシンポジウム」が同時開催された。
 金砂郷町は茨城県の北部に位置し、著名なそば屋「翁」の高橋氏が本町のそば粉を使用していたことから「そば産地」として有名となった。また、水戸納豆の高級品は当地の大豆が使用されていることでも知られている。
 このような状況の中で、本町も「そば」をテーマとした地域振興に取り組むこととな
った。それを地域内外に宣言する意味で今回、初めてそばの大イベントが開催された。本イベントの企画上の特徴は県の(財)グリーンふるさと振興機構と一体となって、周辺市町村との広域連携で「常陸」という地域ブランドの形成、交流人口の受け入れを推進しようとしていることである。イベントには県からの予算(200万円)・人員面(20名)での支援がなされた。
 開会式には知事も馳せ参じ盛大に新そばの送り初めの儀式(試食)が行われた。イベント内容としては新そばの提供(2店舗)、特産品の販売等であった。同時開催されたシンポジウム(パネラー6名)は90分という短時間であったため、一巡目は金砂郷町へのパネラーからの提言と二巡目は聴衆者からパネラーへの質問による意見交換という形式が取られた。パネラーからの提言内容を要約すると次の通りであった。
@ 宮崎道正氏(全麺協会長、富山県利賀村村長)
地域振興には応援団づくりが必要不可欠で、人脈ネットワークを意識的に構築していく努力が重要。交流人口を活かした地域活性化が過疎地対策の課題。
A 唐橋宏氏(会津そばトビア会議専務理事)
むらおこしにはイベントが必要。1人の熱心なリーダー(きちがい)と5人の支援者(バカ)が必要。内部の人間だけではなく外部のアドバイザーを取り込むことが重要であり金砂郷町にアドバイザー制度を導入することを提案。
 また、そばによる地域振興を行うためには志を同じくするネットワークの形成と「そば道」を確立しようという理念が必要。
B 斉藤和子氏(茨城県地域おこしマイスター)
そばには不思議な魅力が一杯ある。そば屋をめざすのではなく、そばを含め地域の食文化をまるごと味わえ癒しの郷づくりとしての「そば物語」を描こう。そのためにもグリーン・ツーリズムの取り組みは有効。
C 鈴木誉志男氏(常陸そば喰い連会長)
ブランド商品を作るためには「技術の研究・開発」と「手間暇を惜しまぬ姿勢」が重要。金砂郷町のイメージづくりが取り組みの第一歩。良いモノづくりは高く売れるものという信念で努力してほしい。
D 成井光一郎氏(金砂郷町町長)
厳しい環境にある利賀村の地域振興の実践を目の当たりにして感動した。そばを活かした金砂郷としての顔の見える町おこしを今後、強力に実践していきたい。パン工房でそば粉を入れたパン(小麦粉:そば粉=8:2「二八そばパン」と命名し金砂郷にちなんで金箔を乗せたらどうかとパネラーから提案)も開発中。
E 松村広一氏(全麺協顧問、東海農政局企画官)
地域振興には「意味と文脈」が必要。「なぜ、そばなのか?」が理解されないと活力が生まれない。
 また、そばを地域振興のテ}マとするということは農業分野だけではなく商工業、観光はもちろんのこと、福祉、教育、環境、文化活動分野にも関わりがあるような工夫が必要。官立の「そば屋」を作るだけでは地域の変革にはならない。

 また、会場からの質問としては「利賀村がそばを地域振興のテーマとして選んだ理由」「利賀村における住民の地域振興への参画誘導の方法」「グリーン・ツ}リズムの概要」等があった。
 来年以降もイベントを金砂郷町はもちろんのこと周辺市町村持ち回りで「常陸そばブ
ランド」確立のために実施する予定とのことである。


(2)長野県飯伊地区(阿智村)の素人そば打ち自慢大会
−女子高・短大生がそば打ちに取り組む姿勢に感激−
 全麺協会員の長野県阿智村智里東農事組合法人が仕掛け人となり飯田市周辺の下伊那地域を対象とした「第1回飯伊地区素人そば打ち自慢大会」が昨年11月24日、飯田市の地場産業センターで開催された。
 審査員には全麺協顧問の氏原信州大学教授が審査委員長をっとめられた。そのため、本大会は全麺協認定の段位認定大会(初段位認定)となった。
 参加者は44名で、近隣市町村のそば道場やそば処でそば打ちの愛好者になった方々や、特に目を引いたのは、飯田女子校、飯田女子短大の学生が15名参加したことである。日頃、クラブ活動として取り組んでいるとのことであった。そば打ちも若い女性にファッショナブルでスポーツ感覚のある、また「そば道」というべき「様式美・作法」
として認知されつつあることに心躍る思いであった。そば打ちにも地域色が鯵み出た地域固有の流儀があってもよいのではないだろうか。この点については本誌で高橋礼文先生や唐橋宏氏からも指摘されている。
 技術はレベルの高いもので全員が初段位認定にふさわしい技量を披露してくれた。全麺協認定の初段位第1号は、脳硬塞で倒れ、そば打ちをリハビリにして立ち直った伊那そば打ち名人会所属の斧研つね子氏に授与された。
 午前9時から午後3時までの長丁場のコンテストとなったが最後まで緊張感のある大会であった。


(3)富山県利賀村を舞台に
日ネ国交樹立40周年記念事業として
    映画「ミテリ・ガウン(愛の架け橋)」が完成
 利賀村が全麺協顧問の氏原嘩男信州大学教授の紹介で、ネパール国ツクチェ村と友好村の調印を行い親密な国際交流を行っていることは全麺協の会員の方々はご承知と思う。これが縁でネパールから絵師を招聴しマンダラが制作され、瞑想の郷等が建設された。
 そして、平成8年3月にこの6点のマンダラの完成を祝しカトマンズで盛大な記念式典、シンポジウム、レセプションが開催された。これが契機となり、今回の映画製作の話が持ち上がったとのことである。
 ネパールの映画の歴史は、50年捏前にフランス人から技術習得したのが始まりとのことで、1950年の第1作から現在までに145本が上映されている。従来は南アジアとの合作が多かった中で、今回の日本との合作はネパールでも始めての試みであり、両国友好40周年という筋目となる新たな事業といえる。
 映画の物語の内容をパンフレットから抜粋すると次のとおりである。

「愛の架け橋」ストーリー
 日本の利賀村の青年の治仁(愛称「ハル」)はエベレストで有名なネパールを訪問することを望む。利賀村に蔓陀羅制作のため滞在していた絵師からツクチェ村に行くことを進めらたからだ。母親に反対されるが、父親の理解でツクチェ村訪問を決意。 ツクチェ村の美しい景観を夢中に撮影している際、村の娘ガンガーと偶然出会う。その折、ツクチェ村の不良グループのリーダー・ジャガドらから暴行を受けるが、運良くシャラワンという青年に助けられる。彼から、ネパールには「観光客は私達の客、客は神様」という諺があることを言われる。シャラワンは、自分の賓客として自宅に招く。そこでガンガーと再会する。ガンガーはシャラワンの妹だったのだ。ハルとガンガーは、お互い意識はじめる頃、シャラワンは村外に仕事に出かける。ジャガドはガンガ}にち、よつかいを出す。助けに入ったハルはガンガーを守るが同時に怪我を覆ってしまう。二人の仲は高まり愛し合うようになった。帰って来たシャラワンはガンガーが襲われたことを知り、二度と妹に手を出さぬようジャガドらを打ちのめす。 そして、なぜかハルに村から去るように迫る。わけを言いたがらないシャラワンがとうとう理由を口にする。昔の恋人マナのことを。ジャガドはマナに横恋慕し、シャラワンには別の結婚を誓った恋人がいるという作り話をマナに吹き込む。失意のマナは作り話に翻弄され、失恋したと思い込み自殺してしまったのだ。妹に同じような思いをさせたくなかった。ハルはシャラワンに自分のガンガを愛する真剣な気持ちを伝え、シャワランもハルの決意を認め結婚式をあげた。二人は日本に帰ることに。
 利賀に帰った二人は当初から順風満帆ではなかった。案の定、母親はガンガ}との結婚には反対で、ことある毎にガンガいに辛くあたった。しかし、気の優しいガンガーのひたむきな気持ちが徐々に伝わっていく。晴れて二人は日本でも祝福されることになった。日本での結婚式に花嫁の兄・シャラワンも利賀を訪れる。利賀の暖かい人情にシャラワンの心も癒されていく。そして、シャラワンにも利賀の女性との運命的な予感を感じさせる出会いが始まろうとする・・・。
 また、ツクチェ村の地域振興についても触れられている。村に流れる二つの川が氾濫を繰り返し村が浸食される危機にあるのだ。観光立村(マウンテン・ツーリズム)を目指すツクチェ村は利賀村に救いの手を求めるという内容である。国際貢献のあり方を示唆する内容も織り込まれている。

 ネパールの映画文化を知ることが出来る貴重な映画である。利賀村の宮崎村長をはじめ全麺協事務局長の中谷氏等我々が知っている利賀村の方々が神妙な顔つきで出演されているのも親しみが沸く。なかなか名演技である。ストーリーはネパール版西部劇ありラブロマンスあり、香港映画風でもあり楽しい。一見の価値は十分ある映画である。ネパールの映画の制作費は300〜350万ルピー、日本円にして1000万円ぐらいである。この映画の制作費は正確には聞いていないが、従来の枠を越えるものではないだろうか。全麺協東京事務所にビデオテープをお借りしているので興味のある会員には貸出することにしている。









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