ZEN麺 Hot News 創刊号
                (1998年2月発行)

第4章『役に立つイベント関連情報』

1.書籍紹介
(1)『分権時代の地域経営戦略』平野繁臣
松村廣一・共著
 地域資源を有効に活用したむらづくり、地域経営学の必要性が求められている現在、その具体化がより重要になっている。そこで抽象的な地域経営論ではなく各地域での調査、体験をもとに地域経営の本質と機能、それを受けた地域経営の実践・施策体系とその展開を本書は明示している。全麺協の活動内容と世界そば博覧会、そばイベントを実施した富山県利賀村、福島県山都町、福井県池田町のイベント実施効果とその後の地域経営施策の展開が詳細に分析・紹介された全麺協会員必見の書。同友館TELO3−3294−1801A5版242P2、200円

書 評
 地域資源を有効に活用した村づくり、地域経営学の必要性がいわれており、本格地的な分権時代を迎えた現在、その具体化がより重要になっている。こうした中、農林水産省で主に地域振興を指導している農政マンと現職のイベントプロデユーサーの二人が「分権時代の地域経営戦略」(同友館)を出した。抽象的な地域経営論ではなく、各地の調査、体験をもとに、地域経営の本質と機能、それを受けた地域経営の実践・施策体系とその展開を明示している。これからの地域振興は地域の総力戦であり、それに備える戦略・戦略にあふれている。例えばクラインガルテンは、ドイツでは都市住民の緑とのふれあいを演出する場だが日本では立地・社会条件を十分論議せず山村での耕作放棄地の活用などの大儀名文をつけて導入する場合が多いことを指摘。日本の風土に合った日本型とし山村で始めるのなら、都市の人の別荘か第二、第三の人生を山村で送るために必要な施設や都市の小中学校の環境教育センターとしての農業体験施設など農園単品ではなくグリーーン・ツーリズムの一環としてとらえることの必要性を説いている。ふるさと創生やウルグアイラウンド対策など地域振興を売り物にしたコンサルタントは多い。そばと温泉の活用に代表されるように金太郎飴的事業の提案が極めて多い。が、この本を読むほどに地域振興のもつれた糸が解けてくる。
(平成9年7月4日付け日本農業新聞より)


(2)『長寿をあなたに/理想の健康食(仮題)』 平成10年2月中旬発売予定
農林水産省食品総合研究所食品理化学部部長   鈴木 建夫著

そばの栄養学及び医学的効用等について書かれた著書。
福島県山都町でのそば協会設立に際しても講演された。
保健同人社TELO3−3234−6111定価未定





2.21世紀の新しい学問−イベント学会の発足
 平成9年9月24日、岐阜市未来会館でイベント学会設立に向けてのシンポジウムが開催された。同会議は、(財)岐阜県産業文化振興事業団や(社)日本イベント産業振興協会などの主催で、全国や地元の自治体・関連団体等から350名が参加し、「21世紀交流新時代のイベント戦略」をテーマに活発な議論が展開された。岐阜県はコンベンション機能等の充実によるイベント立県をめざしている。そのため、平成8年からイベントのあり方を探るイベント会議を全国に呼びかけて開催している。今回はイベントが日常化し、その評価が国民各層に理解浸透されてきた反面、まだまだ“遊び”としか認めていない層も残念ながら数多い中、21世紀の情報通信社会を迎えるに当たり、新たなメディアとしてのイベントの理論構築と実践手法のシステム化等を図ることを目的に、従来の学者中心の閉鎖的な学会とは異なる実務者等を交えた開放的な学会、「イベント学会」の設立が本イベント会議で紹介された。
 これはイベントを効果的に活用し、そばをテーマとした地域振興とそばの普及啓蒙をめざす全麺協にとっては関心の深い動きである。全麺協顧問の平野繁臣先生もこのイベント学会設立の中心的な役割を担われている。全麺協としても今後、深い関心を持って、この動きを注目していきたい。
以下、会議の内容を簡単に紹介することとする。

[21世紀のイベントを探る イベント学会設立をめざして]
 ビデオメッセージとして主催県である梶原岐阜県知事から、21世紀は「FACE TO FACEの時代」であり、イベントの効果としては「人脈の形成」が大きく、これは今後の情報化社会の中で生き抜いていく力になる。そして、木村尚三郎東大名誉教授からは、21世紀は先の見えない時代であり、このような風潮の中では「他人が何をしているか?」が気になり、これが人々の大移動に繋がる。というメッセージが、イベントを日本語で言えば「出来事」。新しい驚き、感動を求めることだ。イベント学会は動きつつある現代を考える学会ともいえる。そのためイベントは理性のみではなく情感をも含んだ学問であり、新しい価値の創造(例えば「愛」等)にも寄与する情感の科学、総合の学、ヒューマニズムと位置づけられる。このように21世紀はセカンド・ヒューマニズムを研究する時代であるという考えが披露された。

[パネルディスカッション]
パネラー
・長谷川 文雄氏 東北芸術工科大学デザイン工学部教授
・望月 照彦氏 多摩大学経営情報学部教授
・北本 正孟氏 株式会社カントリー代表取締役
・森下 慶子氏 株式会社ケーピー代表取締役
コーディネーター
・井関 利明氏 慶応義塾大学総合政策学部教授

パネラーのイベントとの関わりとイベントに対する基本的な考え方
(長谷川氏)
@ 「イベントの日常化」と「日常化したイベント」
現代は、施設の乱立の中で、何かイベントをしていなくてはという状況に追い込まれている。質は別としてイベントはもはや珍しくなくなってきた。そのため、新しいイベントを従来のパターンで考えることは至難の技となってきている。
A 「デジタル社会(ネットワーク社会)を念頭に置いた、取り込んだ、盛り込んだイベントが今後、求められる。」デジタル社会だから、かえって「FACE TO FACE」のイベントが重要というようなデジタル社会と対峠したものではなく、デジタル社会と融合したイベントとは何かを考えることが重要だ。リアリティーのあるコミュニケーションをいかに構築するかがポイント。
B 「キヤリプレーション(ズレを元に戻すという意味)、価値観の多様化の中で自分の位置を確かめる」という意味でのイベントの役割を考えよう。
C 「強力な地域の魅力」と「魅力あるイベントコンベンション」の相乗効果が人を集める魅力となる。イベントにはマッチポンプ効果がある。
 例えば、ラスベガスの変容。町自体がコンベンション空間でホテルもそれぞれテーマ性を有している。イベントのコンテンツ(文脈性)、テーマを持ちながら地域づくりを行っている。


(望月氏)
@ かつて地域活性化は、いかに工場を誘致するかにあった。現在は、魅力的な街づくりで人を呼び込むことに転換してきている。優秀な工業的技術だけでは存立し得ない。コンベンション、イベント、観光のない街は衰退する。世界のコンベンション都市ではこのような街づくりが真剣に議論されている。
A 現在、工業化社会の世界は肩凝り現象にあり、この閉塞状態を解す必要がある。このような意味で佐賀県の「森の博覧会」(総合プロデューサー:平野繁臣民)は大成功であった。当初、陶器などはテーマにならないと言われていたが、陶器産業は自動車産業よりも裾野の広い分野であることが実証された。イベントとはこのような肩擬りを揉み解す機能がある。
B 私が考えるイベントの5つ“T”のポイント(効用)
(1) 地域の持っている資源を発掘して高める(イメージ形成機能)
(2) 地域の情報を発信する(インフォメーション機能)
(3) 地域の産業技術の革新をもたらす(イノベーション機能)
(4) 新しいビジネスを起こす(インキュベーター機能)
(5) 子供たちの最大の教育になる(知恵のメッセ)
以上、5つの”T”
「イメージのアイ」、「インフォメーションのアイ」、「イノベーションのアイ」、「インキュベーションのアイ」、「インフラストラクチヤーのアイ(知的な)」がイベントの重要な要素である。
C イベントは目的ではなく、何かを生む手段であるという認識が大事である。


(北本氏)
@ 実務家としてイベント学会を考えたい。
A 19世紀が生んだ2大イベントは,イギリス人が考えた「万国博覧会」とフランス人が考えた「オリンピック」である。万国博覧会は「集客・集人型(会場に大量の動員)」であり、オリンピックは「情報通達型(会場には少数の動員だがメディアを通じて情報は世界の人々に伝達)」といえる。このように、イベントとは「人を集めること」なのか、「情報を通達すること」なのか、どちらが重要なのかわかりやすい視点で議論する必要がある。
B 地域振興イベントには2つのタイプがある。地域の人々が楽しむことを主眼とした「地域サービス型」とよそ者を招き稼ぐ「地域振興型」である。それぞれのタイプは、仕掛け、仕組み型が異なる。しかし、残念ながら現場では混同している傾向があるのではないか。その原因は大阪万博である。大阪万博は失敗であった。というのは日本で始めて行われた万博が「特別博」ではなく、「一般博」であったからだ。一般博とはすべての業績を集約したもので四半世糸己に1回程度行うものである。特別博はその地域しか出来ない、絞り込んだテーマで行うというのものである。この ため、一般博の形態が博覧会だという印象が我が国に定着してしまった。コンセプトを明確にするという行為が軽視されてしまったのが残念である。地元しか出来ないテーマの絞り込みが重要である。
C 博覧会(イベント)の極意は「ナンバーワン」「オンリー」ではなく「ファースト」であり、誰が先に行ったかが重要である。イベントで最も重要なことは「目的」「コンセプト」を大切にすることだ。例えば、オリンピックの目的は「スポーツによる民族の祭典」、コンセプトは「より早く、より高く、より強く」。宝塚の目的は「国民劇場」、コンセプトは「少女歌劇、清く正しく美しく」というように。


(井関氏)
目的、テーマ、、コンセプトを明確にすることは、新しいビジネス、商品開発に必要不可欠な要素である。


(森下氏)
@ イベントは非常にリスキー(危険負担が多い)というのが印象。高尚なイベント理論・技術の粋を集めた施設等には現場ではイベントスタッフが追いていけないのが現実だ。また、スタッフが育っていない。さらに、保守的な行政・企業のシステムにも馴染めていない。
A イベントは「新しいものを作ること」が大事と認識している。
B イベント業界にはカタカナ文字が多い。今日の議論の中にもカタカナ文字が多いという印象だ。大衆に理解され難い原因である。イベント業界にはさまざまな業種が参画している。イベント関係者の懐は広い。これをどのようにまとめていくのかがイベント学会の課題と思う。
C また、イベントの観客も変わってきた。今までのイベントのやり方でよいのか?自問自答の毎日である。イベントは「市民対行政」「市民対企業」「個人対組織」「素人対専門家」というとかく対立しがちな構造を身近な問題としてとらえることができるという効果がある。感動を広範囲に伝える効果があるのだ。行政が主体であっても「個人対個人」の力が発揮出来る。社会変革の起爆剤となり得ることに興味が沸く。


(井関氏)
ここまでの議論を集約すると「長谷川&望月学者チーム」はイベントが社会・人間に与える機能についての整理の方向を提言しているように思う。一方、「北本&森下実践者チーム」はイベントのノウハウ等実践学の方向を提言しているといえる。今度はそれぞれ他のチームに対する意見をお願いしたい。


(長谷川氏)
実践学に対する意見
これからのイベントには合矛盾する現象を結び付ける機能、ノウハウが必要である。北本氏の「地域振興型」「サービス提供型」も「抱き合わせ型」を考える時代ではないか。21世紀は抱き合わせ等新しい融合型が必要な時代と思う。


(北本氏)
整理学に対する意見
ラスベガスは一言で言って楽しい場所だ。それぞれ大きな博打、飲食、買い物等人間の欲がすべて内包されている。部屋数は7万室(東京は5万室)。パビリオンの集積が相乗効果(シナジー効果)を生んでいる。
テーマコンセプトでは「ニューヨークニューヨーク」「シーザスパレス(格闘技)」がユニークだ。町中がテーマパークとなっている。名物・名所を作りたいという地域は多い。しかし、都市の美観形成ぐらいでは効果はない。「ここまでやるのか」というぐらいの勇気が本当は必要と思う。ファーストが重要で、これが訪れたくなる“めまい”を起こさせる。


(森下氏)
イベントを始めると現場では、当初想定したものと違う方向に行ってしまいがちだ。現場があって行動がある。今までのイベント管理システムでは従来と同じになってしまうのではないか。現場でのワイワイ気分から面白いものが生まれる。しかし、欲望や危ない部分は削られがちである。それでは従来と同じだ。抽象論が多いが、新しいプロジェクトとは具体的にどのようなものか、個人を生かすにはどのようなプランニングが必要なのか、理論の具現化のための手法論が重要だ。イベント学会は「イベントの体形・武器(手法)を整理」すべきだと思う。大蔵省等堅いお役所にイベントにお金を使うことの意義をアピールするものであってほしい。
現場と理論が遊離しないことが従来の学会と異なるという意味だ。国や企業を変えていく手段としてのイベントの大切さを強調すべきだと思う。実践を前提としたイベント学が重要である。


(井関氏)
今後、イベントには「デジタル思考・技術(ネットワーク)」の中で、それをどのように活かしていくかという検討が必要だ。これが今後のイベントの役割だと思う。


(長谷川氏)
アナログ思考とデジタル思考の融合をどのように考えるかが重要である。融合させるためのハイブリット技術の開発である。情感と理性との融合ともいえる。
デジタルネットワーク技術は10年で100倍のスピードで進歩している。想像・予想も 付かないテクノロジーが生まれようとしている。デジタルネットワークとそのリアリティー(具現化)の実現が鍵だ。これは人を集めることの意味の価値付けに直結する。
博覧会とコンベンション等におけるデジタル化とリアリティーの直結とは、例えば、情報通信(ネットワーク)上でイベントを紹介してそれを見て会場に行きたくなる、博物館の情報を見てそれを確かめに行ってみたくなる、そして期待した満足が得られるという構図を実現するシステム・演出である。いわばクールとホット(底流はテクノロジー)の融合である。


(北本氏)
イベントにはその時代のバックグラウンド(時代背景)が重要な役割を果たす。そのため、レジャーはその時代の技術が深く関わっている。例えば、
@ フランス19世紀・・・・・ 「バカンス」蒸気機関
A 1920年から30年・・・・ 自動車
B 日本は80年代から・・ 「エレクトロニクスの時代」パチンコ、テレビゲーム等60から80兆円市場
外国の場合、レジャーはまさに「大衆の反逆」のパワーで広がった。ブルジョアの遊びが大衆の反逆により大衆化する。その反面、日本は下から庶民から生み出される。新しいメディア、ソフトでイマジネーションをかきたてることが必要だ。感性がものをいう。


(森下氏)
小さなイベントは「告知」で苦労している場合が多い。情報の出し方が重要だ(建前と本音の使い分け)。志を出すことが重要である。


(望月氏)
不況だからイベントがし難いという意見もあるが、不況だからこそ必要だと思う。アメリカのニューデイール政策はイベントを上手に利用した政策の典型だ(ラスベガスはフーバーダムの労働者の息抜きの場として誕生した)。
本来、21世紀型の博覧会としては愛知ではなくカルガリーが本命であった。なぜか、
住民主導であったからだ。イベントには住民のコミュニティー意欲が立地上の重要
な要素である。


(井関氏)
 イベント学会とは何かを一言で。


(長谷川氏)
@ 才能あるプロデューサーを作り、次世代にノウハウ等を残すこと。
A 実際に行ったことを機能化すること。
B 面白くなければダメ(イベント楽会に)だ。


(望月氏)
3つの命題、5つの課題を提言したい。
[命題]
@ イベントは社会変動を起こし得る。
A イベントは近代社会の最大の発明である。
B 20世紀は戦争の時代であった。イベントこそヒューマニズムを作る道具である。

[課題]
@ 統合の学
A 地域の経営学
B 非専門性
C 民間学実践学
D 21世紀学、人間学等、人間の未来を考えること。


(北本氏)
@ イベントに関心がある人々の集いの場であること。
A 19世紀はエキスポ、オリンピックを生んだ。20世紀、21世紀は何を作るのか。
B 業界のスターを作ること(頼彰制度の導入)


(井関氏)
従来の学問、学会は排除の論理で学問の厳密性を保ってきた。今後は各分野からの取り込みの原理が必要だ。イベントを理論的にまとめると同時に、実践的な工夫を行うことが創造性を育むために重要と考える。
従来の学問体系は西洋主導(アングロサクソン、キリスト教徒中心)であった。新しい学問の可能性を追求するためには学会の革新を図ることがまず第一である。
私が考えるイベントとは?「Ev e n t」の文字をとって、
 E・・・エンターテイメント
 V・・・バーサタイル(多元性、多様性) バイアブル(生育可能性・増殖)
 E・・・エモーション(感動と情熱)
 N・・・ノベルティー(新規性)
 T・・・トウギャザネス(いっしょに集まる)
と考える。イベント学会設立にご理解ご協力を願いたい。




3.この人紹介
「蟻川幸雄を支える演劇プロデューサー・中根公夫氏」
 平成9年11月17日、東京港区六本木に最近、オープンしたオリべホールで「’97JEPCフォーラム」が開催され、演劇プロデューサーの重鎮である中根公夫氏を迎えての講演会が行われた。このオリべホールは岐阜県の東京における情報発信基地として信託方式で建てられたビルの最上階にある。2階には岐阜県の特産品販売コーナーや飲食コーナーが設置されている六本木にオープンしたということで話題のビルである。
 中根氏の講演で印象に残った言葉は、「ビジュアル性」と「意味と文脈」の重要性である。中根氏の講演の内容を「お客様」を「住民」に、「演出」を「施策展開」に読み替えれば、地域振興で各地が悩んでいる絡んだ糸を解きほどくヒントとなりそうだ。「そば」を地域振興のテーマとするための「意味と文脈」を住民各位に「ビジュアル」に示す工夫が必要であると読み取れる。
 中根氏の講演内容には、全麺協顧問の平野繁臣先生も何度も領かれていた。他分野の内容といえども聞く側が問題意識をしっかり持って聞けば、さまざまなヒントの宝
庫となる。一流の人の話は他分野にも通ずるものがある。
 このような観点で中根氏の講演内容を紹介する。利賀村の世界演劇祭が利賀村に与えた影響もイメージできそうだ。

プロローグ(プロデューサーの職業観)
 プロデューサーは裏方であり、起承転結に仕事のあり様を本にまとめることが難しい職業である。そのためか本を出したらという誘いは受けるがまだ出版していない。今回は現場で自らが経験したことを話したいと思う。演出家・蛤川幸雄氏の黒幕として30年従事してきた。仕事の8割が蛤川関連(作品40本、120本公演)である。
 今後、多少、従来とは異なる仕事をしてみたいと考えている。例えば、最近行った奈良薬師寺での「王女メディア」の上演などはその試みの一つであり、後で触れてみたい。

蟻川幸雄との出会い?(従来のシェクスピア劇からの脱皮)
 私自身は昭和37年に東宝(演劇部)に入社した。翌年には文部省フランス政府給費留学生としてフランスのパリ・オペラ座に研修留学する機会に恵まれたことが幸運であった。この時が最初で最後の実務者に研修留学の門戸が開かれた年であった。現場の演劇人が留学できる制度は今後、必要である。これが縁でオペラ座の関係者と交友関係が出来たことが自分の財産となった。現在の留学制度は官立の文学の研究のための留学制度になってしまった。
 エピソードになるが、留学試験は幸運にも口頭試問のみで試験官は在籍する大学の担当教授等であった。面接試験を思い出すと、
Q:「フランス古典演劇を一言で?」   A:「リズムです。」
Q:「リズムは何から生まれるのか?」  A:「言葉です。」
といったものであった。
結局、3年半フランスに滞在しギリシャ悲劇を多数見ることが出来た。
 そして、20歳後半で東宝に復職し、名プロデューサーの菊田一夫氏に師事し、それが縁でプロデューサーへの道を歩み始めた。当初は「アチヤラカの中根」としてクレージーキヤツツ等の演芸ものを担当した。正直言って「自分の思ったことをやりたい!」という気分であった。この願いが実現するチャンスがやって来た。「芸術もの」として日生劇場での「ラ・マンチヤの男(市川染五郎主演)」に引き続く企画を任せられたのだ。考えた企画が、もともと舞台劇であった「ロミオとジユリエツト」。従来、日本では古くさくて面白くないイギリス・シェイクスピアが主流であった。さっそく、本場イタリアの大演出家・ゼフイレツリに依頼したが、本人がアシスタントと喧嘩してアシスタントが脚本を持って逃げるというトラブルが発生し、本場からの演出の輸入を断念。急遽、演出家を探すはめとなった。
 当時、’60年代のアングラ劇団で無名だが才能のある演出家が何人かいた。例えば、鈴木忠司、蛤川幸雄等。以前から気になっており、かねがねこの人達に会いたいと思つていた。当時、蛤川は演出では生計が立てられず「水戸黄門」等のテレビ番組に俳優として出演していた。今では笑い話だが、俳優としての才能はゼロであった。
 蜂川幸雄と会った印象は期待以上の驚きであった。ダイレクトに「シェイクスピアをやらないか? 現状のものは面白くない。貴方ならどのような脚本を書くか?」と聞いてみた。・そうしたら「中世は闇である。イントロは小人が踊っており、ぱっと照明が明るくなると大群衆が現れる・・・」と話を始め、頭の中でもう演劇のシナリオが出来上がっていた。これが蛤川との衝撃的な出会いであった。その後、彼との付き合いが続き、多数の作品を手掛け、評価も興行も良い評価が得られるようになった。

蟻川演出・中根プロデュースの確立(お客様に“受け渡す”という理念)
 演出とは作品を料理してエンターテイメントとしてお客に渡すものである。しかし、よくある話だが、お客には好評でも評論家には「本道ではない」という理由で受けが悪かった。
 70年代にギリシャ悲劇「王女メディア」を平幹二郎主演で公演する企画をたてた。幸運にも支持され今日まで続いている。裏話になるが、当初、玉三郎に主演を依頼したが「ゲテモノには・・」という理由で断わられた。そのため、思い切って平幹二郎を女形で起用したわけである。これが当たった。
 イベントには二種類あると思う。第一は「一過性の一瞬の大イベント」、第二が「王女メディアのようにずっと続いている長いレンジで考えるイベント」である。蛤川演出のイベント性を一言で表現すると「ビジュアル性」であると思う。台詞を見えるものに置き換えることが重要だ。文学性、衣装、照明技術等を駆使し五感に訴えるトータルな演出を施して、お客様に“受け渡す”という姿勢・理念が必要である。
 蛤川演出のビジュアル性とは何か?「王女メディア」とは夫婦間の愛情の葛藤を描いたものである。要は離婚や不倫問題を扱ったもの。現代でもよくある話だ。現代にも通じて誰でもわかる内容であることをお客に理解してもらうことが重要なポイントといえる。現在、離婚率は25%で4人に1人は現実問題として身に迫った話題なのである。ギリシャ悲劇といえども人種を越えた人間の本質を問うテーマを扱っており難しいものでは決してない。これがビジュアル性である。理解できる、受け入れる土壌を育てることが演劇繁栄のためには重要であることを蛤川氏との仕事を通じて発見した。

中根公夫のプロデュース感(文化の意味に触れ,その文脈を辿る)
 フランス留学で、私自身「演劇のスタンダード」が確立出来たと思う。作品も多数見ることが出来た。世界的な基準を身に付けることが出来たことは財産である。外国で通じる基準というものを修得できたわけだ。
 日本の評論家にはいつも評判が悪かったので、いつか「外国」に企画を持っていってやろうと思い続けていた。日本人が作ったものをギリシャで上演する夢である。それが実現した。当初、東宝は危険と判断して躊躇していたが、説得が効を奏して実現した。
 感動的な出来事、これがイベントである。日本人によるギリシャ悲劇はすごく評判が良かった。パルテノン神殿を背景とした野外劇場で超満員、20分間拍手が止まなかったほどだ。海外公演の成功は「王女メディア」に“生命力”が付いたことを意味する。蛤川演出のギリシャ悲劇は人間であれば通じるものとしてビジュアル化されている。そのため、民族・宗教を越えて支持されるのだということを改めて実感し自信を得た。
 この自信を背景にさまざまな試みに挑戦した。新宿・花園神社で「王女メディア」を野外上演したのだ。イベントとしても成功を納めることが出来た。神社の背景をそのまま活用して成功(1、200人)したのだ。その後、芝増上寺でも公演し大成功した。何時果てるともしれない芝居となった。一回一回がイベントとなった。
 そして、薬師寺での野外上演に挑戦することとなった。そこで、予想もしない現実を目の当たりにすることとなった。薬師寺が古代ギリシャ文化の日本の交流窓口であったことの発見だ。薬師寺は三蔵法師を祭ったお寺。三蔵法師は文化交流の先駆者である。これを知った時に、薬師寺がギリシャ悲劇を演じる最高の舞台であるという予期せぬ驚きを覚えた。住職の話では、本尊の台座が古代ギリシャ文化の交流窓口であることを証明しているということであった。それはどういうことか。台座の模様がギリシャーペルシャーインドー中国という順でそれぞれ模様が重ねて彫刻されているという話である。感動に体が震える。文化の交流が年輪の如く刻まれているのだ。まさにギリシャ悲劇を上演するには相応しい場であった。薬師寺を選んだ自分の直感にも驚いた。歴史の糸に操られているという実感である。お客様は自然にこのような「意味・文脈」を嗅ぎ付けて訪れているという印象にも驚かされた。

中根公夫のイベントプロデュース論(普遍的なイベントをめざせ!)
 バブル期のイベントは「ブランドものを呼んでお金を使う」ものであったのではないか。終わってみると「あれは何であったのか?」という疑問だけが残る。「心に残らない」「人生が変わる契機にならない」「思い出として残らない」ものが多かったような気がする。日本人が作ったブランドでないものが多数であった。これは『消費的なイベント』『消費型イベント』といえないだろうか。今、この時、こういう時代にこそ「ずっと心に残る」ものが求められていると思う。例えば、前述した薬師寺での公演では、お客様の興奮が私にも公演開始前から伝わってきた。名刹である薬師寺の長年の年月を経た洗練された、無駄を省いた自然な演出(灯籠の灯り等)が「自分たちのアイデンティティーの発見」を促したのではないか。薬師寺は「国際性のある開かれた文化のルーツ」であるのだ。薬師寺でのイベントから教えられることは、「日本独特の文化」という表現は半分当たっていて、半分誤っていること。例えば「歌舞伎」。必要不可欠な三味線は中国がルーツである。国際的な文化交流の中であのエキゾチックに洗練された姿が今の歌舞伎へ進化したとみた方が正解である。薬師寺の時代にはアジア全体が(地域性はあったが)未分化な文化に包まれていた。一般に自由な往来があった時代で一種の文化の回転運動がなされていた。薬師寺はまさに文化(自由な座標軸のある)の交差点であったのだ。この遠いルーツが観客の血を沸き立たせたと思う。
 もう買って来て見せるイベントの時代は終わった。未知なものはもう少ない。フレームアップが必要なのだ。演劇はイベント仕立てたるべきであると思う。ミュージカルでは浅利慶太が一人勝ち状態だ。成功のポイントはイベント仕立てであること。国鉄跡地にテントを張り、地域全体の雰囲気を一変させる演出を施した。そして会場を赤坂等へ増殖していった。街を変えるイベント仕立てと解釈することが出来る。イベントたりうることで活力を生んでいる。特定な層へのメッセージの発信だけでは生きていけない。多様な階層の心を掴むものでなければダメだ。イベントたりうるということは『普遍的』という意味である。
 意味と文脈を失った国・日本。これは司馬遼太郎の最期の言葉だそうだ。意味を失ったとは何も問わずに行動することであり、文脈を失ったとは文脈でものを考えないということである。これを忘れなかったものがヒットしている。例えば、近松心中物語、王女メディア。現代の観客に受け入れられるものが重要である。広範囲に理解される「リアリズム(日常感覚)」と「様式美」が必要だ。長い目でイベント仕立てで育む姿勢が大切である。意味に触れられ、人生の文脈をたどれるものに育てることが重要である。

これからのイベントプロデュースのあり方とは?
(消費型から生産型へ投資を増やそう、育てよう)
 これからどうすれば良いのだろうか? ホールは増えるが才能が出てこない、育っていない。消費構造(ホール等)だけが肥大化して生産構造(才能)が脆弱なのが現実である。
 育てていく投資が必要だ。今後、ブランドものだけを買ってくるイベントでは困る。東宝は結果的には蛤川に投資し新たな演劇の芽を育てきた。評価されるべきことである。残念ながら今、この構造がない。構造を変えようではないか。
 イベントソフトを生産・創造していくソフトインフラとして作ろうではないか。そうしなければ日本は永遠に文化を輸入するだけの国になってしまう。育てることに対して集中的に投資し、そのリスクを分散させるシステムを考えよう。
 将来のイメージ・夢は何か? 英語圏は巨大なマーケットである。中国語圏(13億人)にも大きな資本の投資が始まっている。日本も意識的にマーケットの創造を考えていくことが急務である。消費側ではなく生産側へシフトを変えよう。アジアミュージカルを外国の俳優を使ってシンガポールで上演・興行することが私の日本演劇界の夢である。
ご静聴どうもありがとう。










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