第4章『役に立っイベント関連情報』
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| 1.イベント学会の発足 |
創刊号でご紹介したイベント学会が平成9年3月18日に設立された。会長には東京大学名誉教授の木村尚三郎氏、副会長には慶應義塾大学教授の井関利明氏が選任された。全麺協顧問の平野繁臣氏も理事に名を連ねている。全麺協としても強い関心を持つものである。
イベント学会の事業概要は以下の通り会報に紹介されている。
(1)イベントに関する理論的研究・実証的調査研究
(2)新しいイベント技法の基礎研究・実用開発
(3)イベント関連学術情報収集・研究発表・学会誌、会報の発刊
(4)イベント研究団体・研究者の交流、人材育成機関への協力
しかし、「研究」という文字の多いことが気にかかる。設立準備の段階での実学、実務者重視の学会という説明からは、ほど遠い従来型の研究・研究者重視の学会になるような気がしないでもない。「イベント学会、お前もか?」とならないような斬新で役に立つ「驚き・楽しさ・夢の創造」(木村会長))する学会になっていただきたい。
今後の専門家集団としての学会主催の大会運営のプロデュースぶりが楽しみである。12月4日、5日に横浜市で「イベント学会‘98年度大会・イベントシティの創造をめざして」が予定されている。 |
◆イベント学の特性
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| 資料:社団法人 日本イベント産業振興協会イヘナント業務管理者コミュニケーションニュースVol.5 |
2.講演紹介 |
先般、長野冬季五輪が開催され、予想外の日本人の金メダルラッシュで全国が久しぶりに興奮した。さすがにイベントの雄である五輪は人々の心を強烈に引きつけるものである。しかし、これらスポーツ大イベントも内容面において大きく変貌しつつあることに気づかされた。五輪はIOCが中心となってオリンピックマーケティングという安定したスポンサーからの協賛金の集金システムの構築をめざしている。善し悪しは別としてアマチュアリズムからアマ・プロオープン化へ、国家主導から企業主導へと商業化路線に転換されてきたのだ。五輪はアマチュアリズムの究極のスポーツ大イベントだと未だに思い込み、世界のスポーツ大イベントの権利ビジネス化への潮流に気づかない日本の開催都市やマスコミの旧態依然とした論調の中に、この世界の商業化路線とのギャップを感じた。
次に登場する大イベントは日本・韓国共同開催による平成14年のワールドカップと平成17年の愛知万博である。このような世界イベントを控え、どのような認識のもとにイベントを運営すればよいのか各界で議論が始まりつつある。企業活動が活発でなければこのような大イベントは成立し難しい。現在の経済低迷路線の中で、どのような新たな発想で大イベントを考えていけばよいのだろうか。去る3月4日名古屋で開催された「21世紀中部地球交流圏シンポジウム」で基調講演された月尾嘉男東京大学工学部教授の講演内容がそれにヒントを与える非常に示唆に富む内容であったのでここにご紹介したい。 |
「国際博覧会と世界に向けた日本の魅力づくり」 |
| 東京大学工学部教授 月尾 嘉男 氏 |
◆博覧会をどのような意味づけで開催すべきか
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世界の大きな仕組みの変化(資源も枯渇する時代、先が読めない時代) |
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世界、地球事情が大きく変わりつつある。まず第一に経済活動に必要不可欠なエネルギー(化石燃料)が有限であること(枯渇の可能性)が実感され始めてきた。
石油埋蔵量を利用量で割った数字が戦後始めて減少(新規油田の減少)した。200年後には石炭・ウランも枯渇する可能性が出てきた。写真現像システムに必要不可欠な銀も、酸素に次いで多いシリコンも有限であることが明らかになった。このように、工業エネルギー・原材料資源が有限という時代になってきたのだ。地域環境も地球環境の一環として考えなければならない。従来とは異なる発想が求められる時代(京都国際環境会議)でもある。
また、世界政治情勢も91年にソ連邦が崩壊し、アジアも大きな変革の動きをみせている。地球規模で人間活動も予測がつき難い変革の時代を迎えている。 |
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日本の大きな仕組みの変化(価値観の変化、周辺国の影響も視野に入れる時代) |
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経済はバブルの崩壊により右肩下がりの時代へと突入した。経済成長率も1%から2%の成長に止まり2020年にはマイナスに、貿易経常収支も2025年にはマイナスに転じることが予想される事態となってきた。
人口についても2025年には老齢人口が世界最高(25%)となることが予想されている。我が国でも三大都市圏への人口集中の動きに変化がみられるようになってきた。昭和50年からの流出傾向がみられたが、平成6年には東京でも人口が流出し始め、人口の集中化は終わりを告げつつある。
また、生活観にも変化がみられ、92年には「仕事中心」から「仕事以外」へと価値観が逆転した。バブルが終わり価値観の格差は広がりつつある。自由時間を大切にする傾向が増加している。収入の使い道も「将来のために蓄える(アリ型)」から「現状の生活の充実(キリギリス型)」へと変化した。
また、海外で現地生産を行う企業の割合(海外生産割合)は2000年には加工型(機械・自動車等)では69%、テレビ80%、ステレオ・電子レンジ70%、冷蔵庫45%、VTR60%、洗濯機27%に達している。このような状況を踏まえ国土計画(5全総)でも周辺国の影響を視野に入れることが重要であることが初めて触れられるようになった。
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| (3) |
このような内外の転換期に愛知万博が開催される意義を考える必要 |
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ご承知のように博覧会は150年前にロンドンで第1回大会が開催された。国際条約はまだ制定されておらず、20世紀に入り国際条約に基づいた大会が開催されるようになった。国際条約の下での歴史はまだ70年足らずなのだ。定式化した世界ではない。 |
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◆万国博覧会が担うべき3つの役割
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博覧会そのもののシステムを変える必要(構造改革) |
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19世紀の初期の博覧会は大英帝国が世界に覇権をふるっていた時代で博覧会は世界に国力を誇示する舞台・装置であった。今回、日本が行う愛知万博は21世紀最初の博覧会という意味で従来の自国の利益追求型のものであってはならない。先進国・日本として新しい発想で、新しい機軸でデザインすることが重要で、これが日本の役割ともいえる。その新しい発想のポイントとして次の3点を提案したい。
第一の変革のポイントは「期間の問題」である。条約上期間は最大限183日間の開催が可能とされている。しかし、交通アクセスが便利になった現在、短期集中型の是非を議論する時期に来ているのではないだろうか。準備期間を含め長期的な国際交流を取り入れた博覧会のあり方を考えることが重要である(博覧会機能の新たな模索)。
第二の変革のポイントは「会場の問題」である。過去、例外(筑波博)はあるが1ケ所での開催が原則となっている。交通・通信が発達した現在、会場1ケ所集中の是非も議論の余地がある。国内、周辺諸国も含めた会場空間の設定のあり方も見直しが必要である。
第三の変革のポイントは「推進者の問題」である。条約上推進者は「国」であるが、最近の国際的イベントは「企業」「市民」への依存が高い構造(総資本主義)へと変化してきている。覇権(国威)を争う時代には国は重要な存在であったであろう。しかし、世界的な視野での活動が常識となってきた今、国の役割は減少しつつある。国に代わり、巨大企業が大きな役割を担うようになってきたのだ。昨年のノーベル平和賞はNGO(地雷撲滅)が受賞するという現代の時代を反映、象徴する大きな出来事が起こった。国家間から民衆・NGOの時代へと移行したのだ。防災・災害対策も実質的な活動はボランティア(NPO・NGO)への依存がますます増大するだろう。博覧会も形式は国であっても実態は一般市民が参画、活躍できるシステムへと変えていくことが重要である。
第四の変革のポイントは「跡地利用の問題」である。条約上は施設は後に残さないのが原則である。経済性、資源の限界・有限性が現実化しつつある中で、開催期間183日のために仮設でよいのかという問題がある。第二次世界大戦で中止になったローマ博では新都市づくりと連携させようという考えがあった(最近、中止された東京世界都市博覧会も同様の構想)。愛知博は「跡地利用等の問題提起」となる最初の名誉ある博覧会とすべきである。
このように愛知博は「万博ルネッサンス」として新しいシステムに組み替える時代の節目に来ている。 |
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新しいフロンティアの提示を行う万博に |
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1890年アメリカの国勢調査報告書は「西部からフロンティアが消滅した」と発表した。そして、1920年地理学者ターナーは「アメリカの西部からフロンティア精神がなくなったことがアメリカの混乱の原因」であるという論文を発表した。
アメリカ大統領は政権の根幹として新たなフロンティアを喚起させる政策づくりに若心するといわれている。例えば、
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ウイルソン大統領 |
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ニューフリーダム政策 |
| A |
ルーズベルト大統領(1933年)ニューデイール政策 |
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開発出来ない地域を開発の対象に |
| B |
ケネディ大統領(1957年) |
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ニューフロンティア政策防衛政策の変換、科学技術の発展(宇宙開発) |
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ジョンソン大統領 |
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ニューフロンティア政策科学技術の発展(海洋開発) |
| D |
クリントン大統領 |
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サイバーフロンティア政策(情報通信技術) |
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このように、アメリカはフロンティア精神を国威発揚の推進力としてきた。 しかし、従来の開発型のフロンティア概念の対象となる未開地は既になく、開発には大きなデメリット、危険が伴う(ブラジルの熱帯雨林破壊等)。従来の地理的空間にフロンティアを求めることは困難となってきたのだ。違った発想のフロンティアが求められている。
では違った発想のフロンティアとは何であろうか。現在、アメリカで考えられているフロンティアを紹介してみよう。
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サイバーフロンティア(情報通信空間) |
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環境汚染は微々たるもの。しかし、経済効果は莫大(2010年までに250兆円) |
| A |
インナ←フロンティア(脳の研究・関連技術開発) |
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人間の内部・心理の分野。従来、タブーであった分野に踏み込む。精神・頭脳活動を明らかにする。例えば、東海地域は日本有数の微小機械技術の集積地。「マイクロマシーン」から「ナノテクノロジー」へ(1mの10億分の1:分子・細胞レベルよりも小さい)。
アメリカでは「ナノテクノロジーこそコンピューター技術に匹敵する21世紀の技術開発部門」といわれている。 |
| B |
エコフロンティア(環境を人類のフロンティア分野として考える) |
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何億年という時間をかけて蓄積した石油等を人類は数百年で使い果たし、地球温暖化をもたらした。紙の消費は森林破壊をもたらした。人類は自然から収奪する仕組みを変えることが必要である。ゼロエミッション工場、ゼロエミッションアイランド(屋久島)の構築である。「環境する社会」へ、ゼロエミッションに近づける発想が重要だ。
エコフロンティアとは何かを世界に日本が提示する機会を博覧会に期待したい。 |
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日本の国家予算もこの3つの成長を意識している。
@科学・・・インナーフロンティア
A情報・・・サイバーフロンティア
B環境・・・エコフロンティア
日本もこの3つの成長分野に照準を合わせる必要がある。この新しい課題を解決するフロンティア精神が日本にも欲しい。 |
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日本の魅力をアピールすること |
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スイスの研究所は毎年、国別の魅力度(アトラクティブネス)を発表している。人・物・金・情報が人を惹きつける。日本は46ケ国中23番目へと後退した(年々、惹きつける力が弱まっている)。過去、93年は6位、94年は12位、95年は13位、96年は23位、97年は23位と毎年後退を続けているのだ。
具体的な魅力後退を表す現象をみてみると、第一が訪日外国人数と外国訪問日本人数が逆転し格差が拡大しつつあること。70年代は訪日外国人の方が多かった(500〜700万人)。しかし、運輸省のテンミリオン計画等により外国を訪問する日本人の数は増加(2,000万人)を続けている。第二が都市別国際会議件数の減少である。パリ、シンガポールがダントツの人気である。第三が日本への留学生数の減少である。中曽根内閣時の10万人をピークに94年以降5万6千人と頭打ち状態になっている。これは我が国に研究をする上での魅力がないことを示している。第四がGDP中に占める外国旅行客が落とす金額の少なさである。シンガポールが世界一位で9.2%。日本は0.06〜0.08%でシンガポールの100分の1に過ぎない。交流で順位を上げる努力が魅力を上げるために重要である。第五が先進7ケ国中の対外純資産残高である。日本は世界最大の債権国(100兆円)であり、アメリカは世界最大の投資対象国である。日本は投資対象でないことを意味している。投資は豊かさの象徴といえる。いわば日本は外国を豊かにするためにお金を使っているのだ。 |
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◆国の魅力は「人を魅了する力」へ |
これからは魅力が大事な概念となる。アメリカフオーリンアフェアーズ誌(96,3/4月号)には、国防次官補等の次の論文が掲載されていた。『「21世紀の安全保障のためにアメリカは何を求めるべきか」「武力・経済力」から「ソフトパワー」へ。その本質はアトラクティブネス(魅力)を持つこと。」』
「文明の衝突」という論文(サニュエル・ハンチントン著)では、『次の時代のパワー・国力は武力・財力・外交力ではなく「人を魅了する力」』『「人を魅了する力」とは「外国の人々が金や物を子供のために送り込んでもよいと思うもの」』と述べられている。
「21世紀のアメリカの戦略」(デげンスキー著)という論文)からは、『アメリカを世界最大の国に押し上げたものは「軍事力」「経済力」「先端技術力」そして「荒削りではあるが世界の若者を惹きつける文化」である。』アメリカは50万人の留学生を受け入れている(留学生は将来、それぞれの自国のリーダーとなる)。
このように、魅力という概念は従来の武力、経済力等に優るとも劣らない力となることが共通して指摘されている。このような視点で考えると、日本はまさに憂慮すべき事態に陥っているといえる。この際、博覧会を魅力発信の有効な機会と捉えるべきだ。かつて、イギリスは鉄道を国威(技術力)の象徴として位置づけ、人を集め、情報の交換を行った。日本は日本の魅力を理解してもらうために世界から人々を集め、本や映画では得られない、人と接しなければ得られない情報を提供すべきと考える。 |
3.妙興寺そばの復活 |
愛知県尾張一宮市に、臨済宗妙心寺派の修行道場妙興寺がある。このお寺は、かつて室町後期に柳生神陰流の開祖である剣聖上泉伊勢守が暫く逗留し、仏教の修行をされた由緒あるお寺である。
慶長13年6月20日(1608年)恵順という雲水が「寺方そば覚書」という「そばのつくり方記録」を書きあげた。これが日本で一番古いそば切りの指導書である。
恵順は修行僧であったため「寺方そば覚書」はお寺には残されず、いっしか散逸し、恵順の名もそば切りも同じく忘れ去られてしまった。たまたまその写本が昭和2年に東京の古本屋で見つかり、現在の長浦そばの伊藤汎氏が、そば屋の開店する際に、後援者を通して入手した。今、東京で妙興寺そばとして営業を行っている。
私は一宮市生まれで、妙興寺そばの復活を手打ちそばの講座を行う度に生徒・知人に訴え続けてきた。平成元年に妙興寺を訪問した際、一人もおられなかった雲水も最近少しづつ増えており、老師様も新たに就任されていた。この機会に友人、田島徳一君と共に妙興寺そばの復活をお願いに参上した。老師様は妙興寺では年間約 30回行事があるので、その際に雲水に教えてやってほしいと要請され、昨年(平成9年)6月12日から毎月1回のペースでそば打ちの指導をさせていただいている。指導は現在継続中であり参加者の技術の上達も良く関係者から非常に喜ばれている。一宮市役所商工課も深い関心を示しており、復活宣言があれば390年振りの妙興寺そばの復活となる。 |