ZEN麺 Hot News ’98秋冬合併号
(1999年4月発行)
| 第1章 特集『そばでアジアの子供たちに明るい未来を!』 |
| 1.国境を考える「そばの振興で国境周辺の貧困を救おう」 |
| 全麺協顧問 氏原 嘩男 |
| ミャンマー北部の高原地帯で日本産玄そばの栽培実験が始まったのは平成8年4月(1996年)のことである。日本政府の海外援助活動の一環としてミャンマーの輸出農産物の有望株にそばが浮上、標高800mから2,000mの数ヶ所の山間畑作地帯を選定し、日本から輸送したキクワセ、ボタンソバ、常陸秋そばなどの種子を用い3月、6月、9月と時期をずらしての栽培実験がスタートした。実験は昨年で3年目が経過したわけだが、過去2度の収穫成果はすこぶる好調。日本に持ち込み、そば切りとして試食しても国産のものと区別がつかないほど高品質であった。現地での乾燥保管技術、日本への移送ルート、価格はどうなるのかなどの課魅に見通しがついてきた。日本のそば店にミャンマー産のそばが登場する日もそう遠くではない。実験開始当初から10数度にわたって現地を往来して目途がつきつつあるミャンマー高原そばの最新情報についてご報告したい。 |
(1)アジアの魔の三角地帯周辺におけるそば事情 |
| 麻薬撲滅の救世主にそばが急浮上 |
| 全国民がモヒンガー(ビーフンの麺)の朝食で1目が始まるミャンマー(旧ビルマ)は、南東アジアに位置する連邦団の一つである。 国土面積は日本の約1.8倍で、人口は4,500万人余りである。東北はタイ、ラオス、中国と接し、西はバングラディッシュとインドに隣接している。 首都ヤンゴンは、旧ラングーンで現在でも旧名で呼んでいる因もある。多民族国家で、その数は3.5%とも云われているが、全体の65%がビルマ族で、東北部の最大の州であるシヤン州には約12%のシャン族が居住している。その他、カレン族が約10%で、他にカチン、アカ、リス、モン、コーカン、バラウン、ラフーなどの少数民族が、主としてタイおよび中国の国境周辺に点在している。そして、約90%が敬虔な仏教徒でイスラムおよびキリスト教徒が各々数%を占めている。 ところが、麻薬の一つである阿片の原料となるケシの栽培は、ミャンマーやアフガニスタンが世界で最も多いとされている。ミャンマーの中でも栽培の多いのはシャン州東北部を中心とした中国やタイとの国境地帯である。この国境地帯には前述したような多くの少数民族が住んでおり、阿片戦争で知られているように約100年前に中国から導入されたものを栽培して生活を営んでいる。 コカインやマリファナなどと共に麻薬撲滅は今や世界的な課題であり、ミャンマー政府も西暦2000年までには栽培を絶滅すべく宣言をしている。しかし、栽培農民にとってはケシの代替となる生活手段、とりわけ換金代替作物の導入確立が緊急な課題となっている。 そこで、私たちは関係諸機関と共同で、代替作物の一つとして日本そばを導入し、近い将来日本への導入の可能性を検討すべく、平成8年度から当該地帯で試験栽堵を実施し、3年目にして栽培の目途がつきつつある段階にある。なお、この計画は現地大使館、国際協力事業皆ヤンゴン事務所、さらには(社)日本麺類業団体連合会などの協力を得ながら進められている。 |
混在して栽培されているミャンマーそば事情 |
| ミャンマーの平野部は亜熱帯気候に属し、本来そばの栽培には不適な地域であるが標高1,000皿以上の山間の中国国境地帯は古くからそばが栽培されてきた。しかも、そばの原産地は隣接する中国雲南省であることは周知の事実である。それゆえ、栽培の時期や品種を検討することによって、そば栽培は十分可能であると推察された。以下に、ミャンマーにおけるそば栽培の現状と私たちの試験栽培の状況について概要を述べよう。 ミャンマーではそばのことをパンジョー(花の小麦の意)と呼んでいる。しかし、地図で示したように中国国境地帯では中国と同様にそばであるのに対し、内陸部では普通そばと苦蕎麦(ニガソパ又はダッタンソバの意)の二つに厳密に分けられている。私たちが対象としているコーカン地区のターシユエタン村(標高2000皿)では両者が栽培され、しかも時として両種が混在して栽培されることもあるようだ。現に、一昨年の8月下旬には同村で両種が混植されているのを見かけた。村の中を歩いていると、しばしばダッタンソバの玄そば状のものを各戸の前に竹のザルに入れて干しているのが見かけられることから、ダッタンソバもかなり多く作られているようである。種実は中国雲南省産のものと似ており、大粒で上品質のものであり、試料として一部これを持ち帰った。また、普通そばは日本産よりやや小粒で、粒色は黒褐色を呈しており、これも雲南産のものとほとんど同じであった。 本村の民族的特徴は、先に述べたように中国系に属するコーカン族(果敢族)で、数万人と云われている。従って、生活様式のすべてが中国そのものである。ミャンマ一政府に帰属したのは10年前で、現在でも私たちと対応しているのはコーカン代表と云われているポチヤーシン氏や北のモンコー地域のモンサラ氏(モンコー地区防衛軍司令官)の両氏であり、共に団軍と共同して国境地区を守りつつ農業や産業を発展させるべく指導に努めている。もちろん、通貨はミャンマー人でありながら中国の人民元を使っている。雲南省のシサンバンナ(西双版納)までは数マイルで、例えば、ターシュエタン村に隣接するラオカイ周辺には一面のサトウキビ畑があるが収穫物はすべて国境の中国側の製糖工場に運ばれていた。 |
ケシ栽培地域における特殊な自治組織 |
| 多様な民族によって住分けられており、そういう意味では本地域は民族学の宝庫ともいえる。ミャンマー政府に帰属したとはいえ、ケシ栽培による資金が豊富であることから、それぞれの民族が群雄割拠し、昔の戦国大名さながらに独自の軍隊を持ち、国軍と共同で共通の利益のために国境を守っている。当地の行政の統括者は前述したポチャーチン氏であり、実質的な本地域の支配者でもある。本地域では自らの肖像画がデザインされたたばこが生産・販売されている。たばこ工場をも所有する自治権と財源を有している。そばプロジェクトもこのような実質的な地域の指導者との友好関係を築かれなければ軌道に乗せることはできない。そばの栽培指導の際は、銃で武装した団軍(国境警備隊)とポチャーチン氏の私兵が警護に当たっている。非常に緊張した地域といえる。 |
(2)ミャンマーの食文化事情 |
| そばの料理法は麺、カステラなど |
| ところで、このあたりのそばの食べ方はというと、かなり太い麺や羊羹風のプティングに近いもの、およびカステラ様の菓子である。カステラというよりパウンドケーキといった方がより近いかもしれない。前二者は普通そばで、後の菓子はダッタンソバが主原料とのことであった。この菓子はシヤン州の州都ラショーの近くでもみかけることができた。 さらに、面白いことには、そば畑の周辺には野生の宿根そば(別名シャクチリソバ)が群生しており、この葉を摘んで庭においてあるのを見かけたので利用方法を聞いたところ、肉などと一緒に油で炒めて食べるとのことであった。私の知る限り、この地方が宿根そばの南限と思われ植物分類地理学的にも大変興味深い。 |
ミャンマーはまさに麺王国 |
| さて、ミャンマーはまさに麺王国と呼ぶに相応しい。前述のごとく全国民がビーフンの一種であるモヒンガーと呼ばれる麺を食べる習慣があるが、調理法は大別して、スープ麺と焼きそばである。地方によって、また店によって味はさまざまであり各々が好みの店に通うのは日本の手打ちそば屋やうどん屋のありようと似ている。 もう一つの代表的な麺にカウスエと云うものがあるが、これは主として小麦が原料で日本の“冷や麦”風のものから名古屋の〃きしめん”の様な麺でスープにして食べる。これもモヒンガーと同様に地方によってかなり食味が異なる。特に、シャン・カウスエは定評がある。 最後に、ヤンゴン市内のモヒンガーの製造工場(家内工場)を見せてもらったが、米粉のみを水でこね、沸騰した大きな釜の中にやわらかくなったものを入れ、木製の押し出し器で出し、再び沸騰したところでザルですくい、水で冷やしながらよく洗い、筒状の穴の開いた容器に入れ、水を切り、固めてから、バナナの葉で包んで出荷していた。午後の3時頃から始め、夕方には翌朝配達するすべてが出来上がることになる。どこの食堂に行ってもカウスエは食べられるが、モヒンガーだけは朝食のみのようである。 |
(3)ミャンマーそばプロジェクトの意義(国際貢献のあり方を探る) |
| 年3回の収穫に挑戦し、10a当たり1万円に近づける収益 |
| 麻薬栽培の撲滅は国際社会の最重要課題になっている。昨年3月にヤンゴンにおいて、日本政府、ミャンマー政府および国際薬物統制計画(UNDCP)主催の「ケシ撲滅国際会議」が行われ、ミャンマー政府は国際社会に向け2000年までにケシ栽培を撲滅したいとアピールした。 ミャンマーのシヤン州の中国国境地帯は古くから麻薬の一つであるケシの生産地域で、特に中国との国境付近のナム・ティツト地域は世界最大の生産地である。この地でのそば栽培に麻薬代替作物としての期待が集まっている。試験栽培地までは同国中部の都市マングレーから車で16時間かかる。そば栽培のモデル村がつくられ選ばれた農民たちによって、ケシ畑の近くにそばの試験栽培がなされてきており生育状況はおおむね順調である。 そば栽培において最も重要なのは播種期である。ミャンマーでは緯度が低いので日 長の差が少なく、潅概施設を整備すれば周年栽培が可能である。農民の生活向上を考えると年3回の収穫(2回は採種、1回は販売)に挑戦したいと考えている。昨年の12月に収穫が行われた。日本人がそばを現金で買ってくれるという話が広まり、各地から5日に1度のマーケットにそば袋を抱えた農民達が集まってきた。その場で現金に換えなければダメである。現地の人々が何を話しているのかを軍人たちに聞いてみた。「そばはケシに比べて手間がかからず金になる」と話し合っていたそうである。一人の老婆は手にしたお金で石鹸などを購入し、うれしそうに村に帰っていった。その後ろ姿を見てプロジェクトの成功を改めて心に誓った次第である。まずまずの反応である。ケシは10a当たり1万円の収益をもたらすが、大変手間がかかり高齢農家にはきつい。ケシ坊主を鈎状の爪で傷つけ分泌物を小さな鎌で微量を根気強く削り取る、気の遠くなる様な作業の繰り返し(最低6回程度)である。それに比べてそばは播種後は 楽である。 そばを国際市場価格よりある程度高く買い入れることが作物転換を促進させ、麻薬撲滅につながる。アメリカ、イギリスも麻薬撲滅に協力を申し入れているが、代替作物として小麦、とうもろこし、サトウキビを提案している。どれもスケールメリットを活かさなければならない作物である。国際穀物市場で低価格で競争を余儀なくされている作物である。当然、ミャンマー政府の期待を大きく裏切る結果となっている。そのため、アメリカ政府は日本そばの種を譲るよう当初より要求してきた経過がある。私は断固として拒否してきた。日本が行うべき援助であり、需要の多い日本のみが高く買い上げることが可能だからである。一貝市場価格が決まってしまえば変更は難しい。10a当たりの収益を1万円に近づける工夫が必要なのである。 |
30年におよぶそば研究の総決算 |
| 日本人は世界で最もそば好きの国民で輸入量も格段に多い。立ち喰いそば店まで含めると日本国内に5万店を越すそば食堂がある。玄そばの輸入は近年急増し中国(約8.7万トン)、カナダ(約1万トン)、米国(約7千トン)などからの輸入に消費量の80%以上が依存している。そばは高温と湿潤を非常に嫌う。そのため、標高の高い冷涼な所に限定される。しかし、種を播いてから2ヶ月余りで収穫でき、肥料の吸収力、干ばつにも強い。栽培管理に関してはそばはど手間のかからないものはない。 自民党、JA全中、(社)日本麺類業団体連合会などの協力も得ており、収穫された玄そばは(社)日本麺類業団体連合会が購入することが決まった。また、日本の草の根無償資金協力により現地のNGOにトラックや潅漑施設などが供与され、ODAが有機的に活用されてきている。 また、最近、全図麺類文化地域間交流推進協議会(全麺協)の東京事務所のご尽力により「そばでアジアの子供たちに明るい未来を!」を理念・目標として活動している(財)ライオンズ日本財団(加藤正見理事長)、ライオンズクラブ国際協会330-B地区からも支援のお約束をいただいた。支援の輪は広がりつつある。誰が井戸を掘ったかなどという巧妙争いは国際貢献には無用である。全員一丸となった支援が重要と考える。 これまでに同国北東部のコーカン地域で85haのケシ畑をそば畑に変えることに成功した。40〜50トンの収穫があったとみられる。ミャンマー高原そばの試食会を東京で催したが、国産の良いものとほとんど遜色ないという評価を受けた。味の方も折り紙付きである。 そばの研究に取り組んで30年がたった。昭和43年から日本および世界のそばを遺伝資源として収集しそばの特性の解明を進めてきた。昭和60年には新品種の「信州大そば」を開発し、その後、ハイテクによりそばの野生種と栽培種の雑種の育成にも成功した。 ミャンマー以外にも、そばの原産地ともいわれる中国、ネパール、フランス、カナダ、タイにおいてそばの育種に関する国際共同研究を実施し、そばの起源や食文化に関する研究を今後とも進めていきたい。 画家ミレー作「夏、蕎麦の収穫」は北フランスのノルマンディー地方のそばの収穫風景である。似たようなそばの収穫風景がミャンマーでもみられるように、そこで収穫されたミャンマー高原そばが日本の食卓に並ぶ日も近いかもしれない。自分がこれまで学び、教えてきたことをミャンマーで集大成させたいと思っている。本プロジェクトの趣旨・意義を十分認識することが重要である。間違っても国際相場並の低価格で買い入れるような商売剥きだしの対応をしてはならない。 ミャンマー政府は2000年までに麻薬撲滅を宣言した。国際的信用を得るためにも麻薬撲滅の約束は何が何でも達成させなければならない。 |
(4)ミャンマーなどでの現地栽培指導に身を投じることが私の第二の人生目標 |
| ミャンマーでのそば栽培指導、4月から本格始動 |
| 3月で信州大学農学部を定年退官する。ミャンマー政府はJ工CAに対して専門職貝の派遣を正式に要請してきた。既に平成8年(1996年)春からケシ栽培撲滅を目指し、同国のそば栽培指導に当たっていた私に白羽の矢が立った。その要請を受け、4月から国際協力事業団(JICA)の派遣専門家としてミャンマーに定住し、シャン州都ラショー市に滞在し、車で13時間のター・シュエ・タン村などで少数民族の農民にケシの代替品としてそば栽培を指導する。妻、篤子にも同行してもらうこととした。これまで貧困や国家などの問題を深く考えさせられるような各国の国境付近で研究してきたことがこの決断に大きな影響を与えたといえる。これを契機にそばの研究に止まることなく、世界の国境周辺の貧困を考える問超提起ができればと思っている。今、政治や経済もそうだが、人生も先が読めない。やや戸惑いはあるが、希望に満ち第二の人生に向け、気力は充実している。数年後には帰国する予定である。 一方、国内では全麺協事業の一環として、まず、長野県下伊那郡阿智村にそばの分析や品種改良を行う「全麺協日本そば中央研究所(仮称)」をつくる準備を進めている。会員自治体に研究所の輪を広げていきたいと考えている。 |
| (初出・株式会社柴田書店「そばうどん第28号(平成10年10月発行)海外現地レポート ミャンマーの高原そば」を氏原嘩男教授の許可を得、さらに教授の講演、取材を通じて全麺協東京事務所が教授監修のもと加筆修正を加え編集を行ったものである) |
2.ライオンズクラブとの連携によるフェアトレードショーヘの参画 |
| 「そばでアジアの子供たちに明るい未来を!」キヤンヘーンを共同提案 |
| 昨年11月26〜28日、紳奈川県横浜市みなとみらいにおいて第37回東洋・東南アジアフォーラムが同フォーラム組織委員会(ライオンズクラブ)主催の下に開催された。ご承知の通りライオンズクラブは世界最大の地域奉仕団体として、日頃から活発な活動を国際的に行っている団体である。このフォーラムの参加をご縁契機に全麺協との交流が開始されることとなった。 |
全麺協東京事務所が連携のプロデュースを図る |
| 何故、全麺協がライオンズクラブとの交流を始めたのかを説明しよう。全麺協東京事務所は全麺協の他にもさまざまな活動に携わっている。エイズ撲滅や全国骨髄バンク推進連絡協議会・支援チャリティーの募金活動、財団法人ライオンズ日本財団のさなざまな支援活動に参画している。そのため非常に幅広い人との交流を通じて全麺協にとって有益なライオンズクラブとの連携の糸口を広げた。具体的な連携内容の詳細は後述するが、連携の第1弾は全麺協顧問の氏原信州大学教授が中心になって進めているアジアの魔の三角地帯における麻薬アヘンに変わる代替作物として「そば」を導入しようとする世界的な麻薬撲滅プロジェクトとライオンズクラブ固有の「アジアの子供たちを救おう」というプロジェクトとの提携である。基本的に本プロジェクトの主旨は「そばでアジアの子供たちを救おう」というキャンペーンに読み替えることができる。氏原顧問のプロジェクトは本誌でも紹介されているが世界的な要請であり、このプロジェクトの正否は生産されたそばをいかに高価に輸出できるかに懸かっている。なにせ麻薬の取引は億単位である。多少世界のそば相場を上回る取引が実現したとしても代替の誘因効果にははど遠い。しかし、安定かつ持続的に取引が実現されれば徐々にではあろうがそばに取り組む人々も出てくるはずである。世界もミャンマー因もそれを期待している。これを簡単に言い換えれば、世界のそば消費量の増大が麻薬の魔の三角地帯の健全化路線をテイクオフさせる起爆剤となるわけである。ライオンズクラブはこのそば消費拡大運動に参画(氏原顧問の栽培指導支援、ミャンマー産そばの大量購入等)することがアジアの子供たちの健全な育成に通じ、氏原顧問、全麺協の活動への強い関心に結びついたのである。この提携プロジェクトの企画・推進を一手に引き受けてくれたのが全麺協東京事務所である。 |
全麺協の究極の夢「第2回世界そば博覧会」の開催に向けて |
| ライオンズクラブとの提携にはさまざまな期待が込められている。世界を代表する奉仕団体と一体となって活動することは全麺協の社会的認知に繋がることは言うまでもないが、全麺協の設立目的である「そば・地域文化の普及」には最善のパートナーといえる。世界に友人を多数持ち、内外への情報発信の機会を多く持っているという点から最大のパートナーといえないだろうか。また、もう一つの理由もある。全麺協の設置目標の一つとして掲げている「第2回世界そば博覧会」の開催は全麺協の強力な求心力、推進力となり全麺協にとっては究極の目標であり、夢である。組織の発足の経緯が富山県利賀村で平成4年に開催された世界そば博覧会であった。夢をもう一度と誓って組繊化されたのが全麺協である。これを実現させるために会員自治体は自己研鋳に努めてきた。また「そば・地域文化」を広く浸透させるために「素人そば打ち段位認定制度」を考え、今、全国に展開させようと考えている。しかし、未だ利賀村に追いつけ追い越せという良い意味での野心を持って「第2回世界そば博覧会」を主催しようという会員自治体は現れていない。改めて利賀村の偉大さを痛感させられる。 組織の活力は共同事業の実践を通じて養われ、そして、団結力は一層深まる。平成5年に全麺協が発足して早6年が経過しようとしている。また、「素人そば打ち段位認定制度」を全国に知らしめるためには、会員が一同に会する大イベントの開催が必要不可欠なのではないだろうか。このような意味で、頼りになるパートナー探しは最重要課題となっている。ライオンズクラブとの交流・提携は全麺協にとって重要なプロジェクトと位置づけるべきと考える。 |
「そばでアジアの子供たちに明るい未来を!」キャンペーン槻要(報告) |
「そばでアジアの子供達に明るい未来を!」構想図(図1) |
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| 図1が今回のライオンズクラブ、全麺協顧問・氏原信州大学教授、全麺協との共同プロジェクト「そばでアジアの子供たちに明るい未来を!」の槻要である。3者がパートナーシップをもって推進する構図となっている。 本ビジョンの推進は一朝一夕に達成されるわけではなく、段階を一歩一歩踏みしめていくことが肝要である。 |
ライオンズクラブのフェアトレードショーヘの参画 |
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全麺協のライオンズフェアトレードショーヘの参画内容を紹介しよう。フェアトレードショーでの全麺協のイベント企画は4部で構成されている。 第1部は氏原教授の本プロジェクトヘの協力要請メッセージ、第2部は氏原教授からの資料提供によるアジアのそば栽培事情、ケシ栽培、子供たちの生活の実態展示、第3部は全麺協会貝のそば食品の展示即売(福島県山都町、富山県利賀村、長野県阿智村)、第4部はネパール産そばなどのそばの国際食味体験(全麺協代表審査員の唐橋宏氏、山都町の素人そば打ち有段者によるそば打ち実演、試食販売)であった。急遽、対応しなければならないという事情もあって、ミャンマーとの往復で多忙な氏原教授、各地のそばイベント真っ最中の中で応援に馳せ参じていただいた桐屋の唐橋氏、利賀村の浦辻氏をはじめ東京事務所を中心に本イベントは実施された。 本企画にはライオンズクラブの役員の方々からも高い評価をいただき、連携の芽が大きく育つ契機を予感させた。今後、そばの普及を通じて両者の連携を図り、各種社会責献活動を展開していこうと誓い合った次第である。これが全麺協にとって強力なパートナーを得た瞬間である。 |
ライオンズクラブと全麺協との今後の連携の方向 |
| ここで、全麺協とライオンズクラブとの今後の関係(連携)のあり方について検討を加えておきたい。全麺協の活動概要を示したものが図2である。 組繊のあり方を「ビジョン(構想)づくり段階」「スキル(技術・戦略)づくり段階」「スタイル(推進体制)づくり段階」の3段階に分けて現在、推進中である。具体的には、@リーダーの育成:自分の地域がめざす理念・信念を持とう A個性、独創性の醸成:自らが積極的に仕掛けていく姿勢を育てよう(自分文化の育成)B地方分権時代への研錆:専門性(得意な領域)を持とう等である。 このような姿勢の中で、現在検討されているライオンズクラブとの連携事業として次の3点が考えられる。@会員自治体・団体主催の「素人そば打ち段位認定大会」への地元ライオンズクラブの後援・参画 A「世界そば博覧会」の共同開催に向けての検討 B氏原顧問の「そばによる麻薬撲滅プロジェクト」への支援(アジアの子供たちの支援の一環)は、ミャンマー産そばの輸入支援、ミャンマー産そばの活用策の検討である。 |
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| 3.全麺協氏原顧問主宰による 「日本そば中央研究所(仮称)」の設置準備について |
| 長野県阿智村に「日本そば中央研究所く仮称)」の設置を準備 |
| 氏原教授は、会員の皆さまもご承知の通り数々の実績を残されている”日本のそば博士”である。大学の研究室には多数の書籍、資料、サンプル、分析器材が所狭しと置かれている。この先生の残された研究資料と器材を阿智村の智里東農事組合法人(小松勝文組合長)の所有する施設に移し、資料の展示、そばの育種・分析(DNA鑑定)、そば関連食文化の研究、関連食品の開発、内外のそば研究者・全麺協会員との研究、情報交換、交流サロンの場として整備し、日本そば研究のメッカ「日本そば中央研究所(仮称:通称「日本そば研」)」としていくことを考えている。そして、財団法人化を視野に入れた将来、氏原顧問の構想では全麺協顧問の平野繁臣氏の応援(地域経営学、イベント学)も願いたいと考えられている。そのためにも単なる宣伝、誘客施設ではなく、しっかりとした構想、内容(技術)と体制づくりが重要である。当面は資料の整理、先生の国内事務所として氏原教授、智里東農事組合法人、阿智村(平成11年4月全麺協入会予定)が共同管理する予定である。全麺協としての支援策も今後の検討課題である。 |
日本そば研究所の全国ネットワーク化、全麺協の財産に |
| 氏原先生は構想として、阿智村の「日本そば中央研究所(仮称)」を本部とし、全麺協会員市町村で真剣にそばによる地域振興を目指すところに「日本そば○○研究所」の柿妹研究施設を配置し、“日本そば研”のネットワークの輪を広げていくことを考えておられる。会員一致団結してこの構想の実現を図っていきたい。まさに全麺協にもう一つ大きな財産が誕生しようとしている。全麺協のステイタスとして大事に育てていこうではないか。今後の進め方については次期総会で詳細な報告と協議を深めていきたいと考えている。 |