ZEN麺 Hot News ’98秋冬合併号
                (1999年4月発行)


第3章『全国で元気のある市町村における地域振興策の紹介』
「三重県阿山町 手作りファーム・モクモク」
 今回は三重県阿山町にある手作りファーム「モクモク」の活動についてご紹介したい。地域振興やグリーン・ツーリズムの分野では今や有名な経営体である。知らなければモグリか勉強不足といわれてしまうはど超有名な法人である。ここではモクモクの代表取締役社長木村修氏が東海農政局の職員研修の際に講演された内容と現地取材で得た情報を基に事業内容を紹介することとする。


1.事業の概要
 三重県阿山町は県北西部に位置し、名古屋や大阪圏から近鉄で1時間30分程度の距離にある。この両経済圏から手頃な距離にあるところがミソである。そして、「モクモク」を語る時に欠かせないのが3人の経営トップである。本組繊は高橋氏、木村氏、吉田氏というトロイカ体制で運営されている。高橋氏は養豚農家、木村氏、吉田氏は元三重経済連の職である。この3人の卓越した経営能力によってこれから紹介する組織は運営されている。
 事業開始後、9年4カ月が経過(当初ハムからスタート)し視察は年間400団体を数える。出来るだけ視察には対応するよう心掛けているとのことである。知ってもらうことは農業観・人生観を変えることに直結し、活性化のためのネットワークの形成にも寄与するからである。

ブランドカに苦しめられた経験からの教訓
 事業化の経緯は、経済連に勤務している際に豚の生産・流通面で考えさせられる点が多々あったことから始まる。当時、木村氏は三重県産の豚肉の販売に従事していた。その際、九州(鹿児島産黒豚)との産地間競争で「量と価格」の両面で徹底的に叩かれ無念の涙を流していた。これに対抗するため今から10年前(1989年)に「伊賀豚」というブランド化に取り組むこととなる。

ブランド化を痛感した理由
 当時から流通、特に量販店くスーパー)が力を持つ時代となり、量販店側に関心をもってもらうことが大事となっていた(買い手市場)。ブランド品(例えば、松阪牛等)でなければ買い手市場から相手にされないことを痛感させられた(「ジャスコ」で叩かれ流通の勉強、世の中の厳しさを勉強させられた)。しかし、買い手市場の言いなりに甘んじていてはノンブランド品として埋没するのみである。消費者に認められることが重要であることに気付かされた(消費者の要望を量販店は聞かざるを得ない)。“ブランドカ刀の形成が急務であった。ブランド形成には“違い”を作ることが重要である。差別化とは具体的に何かを研究しなくてはならなかった。例えば、「松阪牛」の特徴は“さし”を入れるという他に真似の出来ない技術からなっている。実は“さし”を入れるためにはどタミン破壊が必要である(“さし”のある牛は実際は病気の状態)。牛のブランド戦略を手本に豚の差別化へのさまざまな取り組みを模索した。例えば、豚肉にも“さし”を入れようとか。しかし、これは既存の鹿児島の黒豚の二番煎じでしかない。

「伊賀豚」のブランドの考え方:地域内で通用するブランド戦略に転換
 量の確保も困難なことから全国ブランドをめざした勝負ではなく、エリアブランドとして県内への流通に限定した普通の豚を売る戦略に切り替えた。ここで問題となるのが普通の豚にどういう差別化を図るかということである。差別化の原点に立ち返って考えてみた。差別化とはマーケティング上、非代替性の追求であるという。これを食品の場合に考えてみると質の向上(機能性の追求)と解釈した。具体的には「美味しさ」「安全性」の追求であり、これに的を絞ることとした。

「伊賀豚」のあっさり味の秘訣は“酢”
 伊賀豚の具体的な特徴は「脂っこくなく、あっさり味(たくさん食べられる工夫)」(通常は150日飼育で早く大きくをモットーにしているため水太り状態)。伊賀豚の「あっさり味」の秘伝は実は『酢』である。打木さく液”を餅に混ぜると肉質が変わる。不飽和脂肪酸が多くなるからだ。豚の臭さみがなくなりアクも減少する。これは養殖の鰻・ハマチからヒントを得たものである。酢によって養殖ものが天然ものに変身するはど効果はテキメンとのこと。

全国初、抗生物質の残留量チェックの実施
 一方、安全性の確保対策は抗性物質への配慮である。出荷前2カ月は使用しないこととした。さらに、全国初の試みとして抗性物質の残留量チェックを実施している。

売ること(販売ノウハウ)の重要性を認識
 商品製造のプロセスが決まった後、次の問鹿は販売戦略である。試行琵環の未、試験店舗、試食販売、キャンペーンボーイ(養豚農家)等を駆使した“溝板キャンペーン”を実施した。これらキャンペーン、ビラ配りは徐々に利いてきた。農家もPRに慣れて来る。量販店に行って「伊賀豚ありますか?」という消費者の声が増えてきたのだ。この言葉が市場での最高のPRとなる。「伊賀豚」は現在、全国で一番高く売れている銘柄と自負している。他に「鈴鹿高原豚」(鈴鹿市、四日市市で販売)、「松坂豚」にも取り組んでいる。理想的な流通の姿は「地域で生産し、地域での消費」であると思う。キャンペーンを通して消費者には地域で採れたものを地域で食べたいという潜在的欲求が高いことがわかってきた。そのため、ブランドの知名度アップに並行してJAや量販店からは徐々に撤退していくこととした。





2.ブランドづくりの必要性の自覚とその取り組み〜経済連在職時代〜
「モクモク」のブランドに対する考え方
 有名な「松阪牛」は全国版かつ高級ブランド志向であるのに対して、「伊賀・鈴鹿高原・松阪豚」は地域版の“愛着”ブランド志向をめざしている。この結論に至るまでにはさまざまな苦労を経験させられた。その反面、悪戦苦闘の中で流通が面白くなってきた。「やれば出来る」という自信がでてきたためだ。何はさておき消費者を味方に付けることが重要と思う。この消費者を身近に置くという意味を理解するにはJAに勤めていては会得できなかったように思う。言葉は悪いが楽な商売しかJAはしないからだ。

ハム加工は実は3倍の付加価値戦略
 昭和58年(1983年)から伊賀豚のブランド化に着手した。バブル時代、大手メーカーは「手作り高級ハム」ブームを起こした。これは豚肉1kgl,000円を3,000円に付加価値化する戦略で従来の付加価値化の尺度を飛び越えるていることに驚いた。これに気付いたことが加工の勉強を始めたきっかけである。しかし、実は大手メーカーの「手作り高級ハム」は偽物であることがわかった。1kgを2倍に増量するスゴい技術があるのだ。それは水と植物タンパク(大豆)を注入し、加熱して固めて増量するというもの。これはある意味ではスゴい技術といえるが本物ではない。

本物の手作りハムの索要は必ずあると信じて組合を設立
 これを知って本物の手作りハムの需要は必ずあると確信した。昭和62年(1987年)に組合を設立した。そして、同年ハム工場を設立し操業も開始した。
 当初は「誰が経営をするのか?」と農家、行政は手を挙げなかった。そのため、言い出しっべが行わなければならないと決意して経済連を退職した。退職金300万円を全額組合に出資して経営に参画することとなった(実際は参画せざるを得ない状況であったといえる)。ある意味では背水の陣であった。





3.経営への取り組み 〜「モクモク」への参画後〜
今年の売上げは23〜24億円。なぜ軌道に乗ったのか
 最初は悪戦苦闘の連続であった。初年度から倒産の危機に遭遇した。
 資本金3,900万円、補助金300万円程度、借金800万円であった。商売の厳しさを実感した。実は経済連を退職する際、取引先(量販店等)に商品を置いてもらう口約束をしておいたのだ。しかし、ハムは予想の1/3以下しか販売できず予想を大きく下回ってしまった。

ハムが売れなかった理由は何か? 農業サイドの大きな誤解
 なぜ売れなっかたのだろうか。「豚の精肉は打生活必裔品ガ、ハムは“嗜好品(非生活必需品)ガであったこと」に気付いていなかったことが大きな原因といえる。嗜好品とは生鮮食料品とは異なり毎日食卓になくてはならないものではない。嗜好品のグループでは大手メーカーに勝てず埋没してジリ貧とならざるを得ない。マーケティングカの差をつくづく痛感させられた。

「モクモク」のマーケティング(マーチャンダイジング)戦略とは
 マーケティング理論では「認知」→「理解」→「共感」→「ファン作り」が重要であるといわれている。試行錯誤の中で「認知」では「手作りウインナー教室」が、「共感」には「モクモク倶楽部」(昭和63年10月設立[会員数19,000人])が有効であつた。
 愛着ブランドの普及率は県内で100人に1人程度を想定(無理せず着実に)している。ハムを「工業製品」から「農産加工品」に引き戻す(豚がいてウインナーがある)ことを「認知⇒理解⇒共感」を通じて進めようと考えている。実は、学童のウインナーづくり体験を通じてPTAの皆様方のロコミが人を呼び込んでいることを知り驚いた。さまざまな発見に出会う。当初は生産して卸すことしか考えていなかつた(工場感覚)。それが「人が訪れる」という効果を自覚してからマーケティング戦略の必要性、イメージが実務を通じて実感されていった。”直売”と“飲食(現場で食べる)”の経済効果を実感できたことは大きかった。「手作りウインナー教室」(現場への誘因要素として重要)、「モクモクファン倶楽部」(直売・通販の顧客管理)の戦略的意味が理解されてきた。人が訪れるようになり、その研究として禅戸農業公園等全図を視察に回った。投資効果としては「モクモク」の方がはるかに効率的であり都市との交流に自信が沸いてきた。

「モクモク」の公園コンセプト「加工+食べる+遊ぶ施設」をめざして
 平成7年に公園整備を行い事業の拡大を図った。公園事業を観光事業として取り組むことはリスクが大きい。これは始めての経験でもあり、また難しく、いわば人気・水商売に等しかった。このリスクを回避するために「観光で人が来なくても収入が確保出来る仕組み作りが重要」であると考えた。その仕組みとはやはり農産加工の充実(焼き豚、生ハム、ウインナー)である。ここで「加工+食べる+遊ぶ施設」づくりが「モクモク」のコンセプトとして確立した。

多角化戦略の是非:地ビール工場の整備とその戦略
 当初、多角化戦略の先兵として餃子・肉まんを計画していた。しかし、当時はビール製造の規制緩和が図られた時期でもあり、地ビールはウインナーやハムにマッチすることから導入を図ることとした。原料の麦から生産することとした。地ビールの導入は決して唐突なものではなくその下地が実はあった。従前、アサヒビールと提携してウインナー・ハムとビールのギフトセットを販売し好評(キリンは日本ハムと提携)を得た経験があった。その縁でアサヒビールにオリジナルビールの製造を依頼した。しかし、ロットが少量のため断念せざるを得なかった。そして、地ビールの独自開発路線を選んだ。ビール麦、麦芽等を地場で生産しているのは「モクモク」だけと自負している。地ビールブームの中で他地域は大手メーカーのミニ版という性格から『小規模工場ビール』、「モクモク」はそれに対して『農産加工ビール』というコンセプトを貫くこととした。飲む、直売、ギフトという流通計画を考えている。

「農産加工⇒飲食⇒遊び」コンセプトで経営リスクの回避を
 入込客は平成7年が25万人、翌8年が30万人、そして平成9年が35万人と順調に増加している。三重県には集客装置が多数ある。全国の観光地ベスト10の内、三重県には2位の長島温泉、4位の鈴鹿サーキット、6位のスペイン村(当初400万人から現在200万人に激減:本物のスペインを旅行した人は満足しないのか?)、9位の鳥羽水族館である。観光客の欲望にはキリがないという(長島温泉には絶叫マシンがあるが、今ではそれに満足できず卒倒マシンが誕生)。
 現在、長島温泉では農業に注目した「菜花の里」づくりが80億円の投資で進められている。「モクモク」の影響があるのかもしれない。全図的に農業公園花盛りである。流行の中でいかに違いを明確に打ち出せるかに成功がかかっているといえる。見せかけだけでは満足をしてもらえない。あの東京ディズニーランドは「ドラマ仕立て」で、モクモクは「ドキュメンタリー仕立て」で勝負していきたい。





4.内発創造型アグリビジネスの創造
農村全体が産業化出来る仕組みづくりとは?
 交流人口を活かすためには農村がまるごと企業化をめざすことが必要である。そのため、地域内の農産物を総動員した交流ビジネスを研究している。具体的には、@伊賀米(コシヒカリ)を大阪寿司米として供給するビジネス(稲作受託グループを組織化)の起業化である。これには三菱商事と連携しアミロースの比率(17%)の高い品種の導入(40ha、10年はさらに10ha拡大)を行っている。さらにA野菜づくりにも取組んでいる。ファーマーズマーケットを設置したところ年間4千万円の売り上げがあった(さらに10baへの拡大を計画)。これからは「物を作る力(生産力)」に加え「物を売る力(販売力)」を育むことが重要となる。

1次⇒2次⇒3次⇒6次産業化路線へ
 「生産」「加工」「販売・サービス」という1・2・3次産業の一体化が今後,農業を魅力的なものにすると考える。生産サイドが直接売る(手渡しの)時代の到来である。共感を直接伝えることが重要だ。今後、百貨店への新規販売は止め(30〜40%の手数料が取られる)、その代わり新たに通信販売に挑戦したいと思っている。現在4億円の実績がある通販部門を数十億円規模に育てたいと目論んでいる。そのため、ダイレクトマーケティングの研究を始めた。物を作る、食べることの融合場面を創造することが大切だ。今は残念ながら両者には溝がある。

生協の国際化路線の愚。農産物生産の分業化は日本の自殺行為
 21世紀になるまでに5万世帯からなる通販のネイチャー倶楽部を組繊化する計画である。「美しく」かつ「安全」が非代替性のコンセプトである。「知ること、考えること」を提案したい。病害虫の発生メカニズムと農薬の使用理由を説明し、教え、考えてもらうことが消費者との交流の糸口と思う。最近、生協の中に商品購入の国際化を考えているということを可にした。「何を考えているのか」と問いたい気分である。大きくなり経営のみに気を捉えていると原点が見えなくなってくるものだ。消費者、生産者側に身を置いた当初の理念に立ち返る必要があるのではないか。
 また、行政も農業観を変える必要がある。農協系統出荷とは異なる流通があることを認知すべきである。現在、200名を雇用(8割地元、残り2割は周辺)している。地域内市場形成には雇用力がある。「食べるものは廃れない」「値段を自らが付ける」「消費者を味方に付ける」ことを再認識していきたい。





5.今後の夢
総菜(中食)市場への参入
 さらに、加工分野を拡大・増設したいと計画している。中でも総菜・パンに注目(田舎料理の復活、農林61号[麦]の使用)している。食べに来ていただくことへの努力を続けたい。農村内にマーケットを構築するという戦略が必要である。これが我々の考える農村まるごと企業化という戦略である。田舎、都会のそれぞれの場面にライフスタイルを分担させるという動きが芽生えてきた。これはまさに6次産業化への追い風である。
[取材・編集:松村広一]





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