ZEN麺 Hot News Vol.5
(2001年6月発行)
| 平成12年度 地域活動と今後の展開 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そばを活かしたまちおこし |
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| 福井県南条郡今庄町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1.地域の概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今庄町は、福井県のほぼ中央に位置し、滋賀県・岐阜県の両県に接し周囲は、1,000m級の山々に囲まれ、この山なみの中でも標高700mの山中に有る神秘的な夜叉ヶ池とした日野川が流れ、豊かな水恵をもたらしている。 気象的には、近年の地球温暖化の影響で冬期間の積雪も1m程度と少なかったが、今年は1月中旬の大寒波で10数年ぶりの、どか雪となり一時的に2m近くに達しました。 本町の総面積は241.3キロ平米で、その約94%は山林が占め、水田面積は約420fを有し、平坦地も見受けられるが、多くの谷地田が存在し、中山間という地理的条件のため、経営規模が小さく、水稲単作で生産性が低く離農者が目立ちつつある。林業においても、生産基盤整備の立ち遅れや、国産材価格の低迷で、経営不振や後継者不足などの問題が深刻化している。 人口は、約5,200人と一時期の60%に激減し過疎化と呈したが、現在は、止まる徴候がみうけられるようになった。 農家戸数600余戸の内、統計上の専業農家率12%は高率の感じはするが、内容としては老人世帯が含まれているためであり、農業生産の戦力としては余り期待できないのが現実である。しかし、近年は、農地の流動化が進み、中核農家への集積により大規模経営農家の誕生が見受けられ、集団転作などの対応には望ましい傾向である。 交通のアクセスは、国道365・476号線が縦貫し、北陸自動車道のTCおよびJR北陸本線の駅が3ケ所など利便性が高く、町外への就労者が極めて多い。また、本町は今でも関西、中京方面との交通の要所的位置づけが高い。 |
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2.「今庄そば」の生い立ち |
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| 日本でそばが食用として使われたのは奈良時代で、備荒作物として広く栽培されたのは、滋賀県の伊吹山付近といわれ、後には木曽、甲斐の国などの山間地に普及し、やがて信州が有名になった。福井におけるそば食の起源は、文明3年(1471年)朝倉孝景が一乗谷に城を築き、幾度かの合戦での経験から、そばを籠城用として意を用いて栽培させ、そば餅、そばがきなどとして食べていたと伝えられている。 その後、慶長6年(1601年)本多富正公が京都伏見から府中(現在の武生市)城主として国替えしたとき、そば師金子権左エ門という者を連れて帰り、そばの栽培を奨励させ、非常食とした。また、自分もそばを好み、現在のように麺状に茹で大根おろしを添えて食べたと言い伝えられている。これが越前おろしそばのはじまりといわれている。 また、今庄界隈では、昔から、山祭り、報恩講、結婚披露宴、年越しなど事あるごとにそばを祝食として食べる習慣が今でも延々と続けられている。本命は勿論「大根おろしそば」である。このように今庄では、そば食は、普段の生活にとけ込み今庄の食文化として育まれている。 県内外に知れ渡ったのは、当時の国鉄北陸本線今庄駅の「立ち食いそば」である。明治29年(1896年)に開通した北陸本線にまだSLが力強い動輪の音を響きかせていた頃、敦賀湾を眺める急峻な木の芽峠を越すのには、蒸気機関車を増結する必要があった。この間約20分間の停車時間に、旅行客は構内のそば屋に駆け込み、素焼きの器に盛られた素朴な味を楽しんだ。「今庄そば」は北陸路を旅する人々にとって憩いの味だったのである。ここでの旅する人々とは全国の方とは思われるが、多くは関西、中京方面の方々であったろうと推測されるとともに、現在もその方面のお客様に御ひいきにしていただいている。 その後、昭和38年、北陸トンネルが開通し、電化されると同時に、今庄駅には特急や急行列車は通過するようになり、長年続いた豊岡商店経営の構内のそば店も閉店し、その代わりに北陸本線の主要駅構内や大阪、名古屋などに店を構え、「今庄そば」の名声を引き続けていただき、地元「今庄そば」のアンテナショップ的な役割をしていただき感謝している。 |
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3.気象と玄そばの生産 |
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| 今庄町の年間平均気温12.6℃、最高気温32.6℃、最低気温−2.5℃で寒暖の差が大きい。年間平均降水量は2,599mm、12月下旬から3月上旬は降雪期間で県内でも多雪地帯にはいる。 そばの命は、香りと風味である。良いそばを収穫するためには、山が険しいこと、そのうえに夜と昼の温度較差が大きく、昼は日光が射し、午後は早めに日陰となり、霧のある山間地帯が最適地とされている。 今庄は、周りを山に囲まれ、ほどよい日光に恵まれ、品質の良いそばの生育を助けている。特に今庄在来種は、小粒でしかも香り高い今庄独特の玄そばが生産されている。 「今庄在来種」は、品種特性からみて、軟型・小粒グループに分類され、そば粉の成分内容から見て蛋白質顔料が低く、加工適正上、果皮率も17.1%と低く、製粉歩留70%以上と極めて高い。また、麺にした時の歯ごたえ感と風味の良さに特徴がある。 古来は、山際の畑や焼畑を中心にそばが栽培されていたが、年々増加する水稲の減反政策に対応するため、町は、大麦+そばの作付体系を基本に推進することになったが、湿害を受けやすいそばを水田転作作物として決めたことは、栽培技術上いささかの不安があった。従って、昭和56〜60年にわたり、排水対策・施肥・播種期・播種法など多くの現地試験を行い、今庄町に適した技術組立など実証を行い62年より転換畑でのそば栽培を推進し、前年10fの栽培面積が一挙に40fに増反された。 平成12年には、栽培面積63f、収穫量約45トンの収穫を得るまでになった。 また、将来にわたり、高品質の玄そば生産を維持するため、平成12年度より約4トンの種子確保を目標に3fの採種圃で、隔年更新を目標に設置した。なお、原種は、標高500m余の今庄365スキー場近くの人里離れた山あいに、10うこの山畑そば囲を設けこれより採種している。 昭和62年より始まった大麦+そばの集団転作を推進するため、町としても低コスト化を目的に今庄町転作営農組合を設立し受託による一貫作業体系を確立した。 |
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4.地産地消のこだわり |
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| 食品の安全、安心は、輸入食品だけのことではない。特に地域産物のセールスポイントは、これにプラスその土地の香りが必要であろう。たかだか一皿の「おろしそば」であっても食材が他県産であっては物足りない、まして、地元産であれば作り人の顔が見えて安全、安心でありこれが地産地消の根源であろうと思う。「今庄そば」の食材は、玄そば、つなぎ用山芋、大根、ネギそして清らかな水によって成り立っている。 玄そばは、地元産であっても、他は他産地のものでは満足できない。所詮そば屋業はこだわり者が多いものである。 本町でも、つなぎ用山芋が、近年、イノシシの被害により、自生している山芋の掘り採りは見込まれず、その代用として、4年前から丸芋に切り替えて現在23aで2トン余の収穫量になり、町内自給率は100%に達した。 丸芋の栽培は、土壌病害虫の被害回避のため、水稲との輪作体系で3年目に初年の園場に戻るやり方であり、山土客土を含めた土壌改良圃場を70a造成した。 さらに、大根も勿論、町内産であるが、昨年から、近頃の辛味の少ない大根おろしでは飽き足りないお客様を対象に辛味大根の試作をはじめ、当町に適する2品種を選定し、今年より本格的に生産する予定である。なお、ネギと水は当初より今庄の地産地消である。 このように食材の地産は、水田園芸の推進とあいまって、町内の高齢者雇用となり、仲間づくり、生きがいづくりにも役立っていると自負している。 |
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5.そば打ち道具の製作 |
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| 手打ち用のそば打ち道具は、元来、林業者が冬場の副業として、木材を鉢や椀などの家庭用品に加工、近隣の農家に販売し収入源としたことが発祥とされている。そばによって、町おこしをするには、手打ちそばの道具も町内でとの発想から、昭和63年に県単事業で過疎地域村おこし事業を取り入れ、こね鉢などそば道具の製作にとりかかったのは、地元で製材業を営んでいた野崎勝治さんである。工房の名称も、木を使い、ひたすら心のこもった製品づくりをしたいとの思いで、「もくもく工房」と名付けた。 こね鉢や、延ばし板をつくるためには、樹齢100年以上の大木が必要である。それも出来得れば地元産のものを使いたいという信念をもっていた。幸いにして、当町は前途したように山林が94%を占め原木として使う欅・栃・銀杏は、比較的恵まれていた。特に今庄町から、滋賀県へ通ずる旧北国街道は、栃の木峠との名称があるくらいに原始林に近い大木が豊富である。 工房の庭先に搬入された原木からどのように木取りをするかは、長年製材業を経験した野崎さんの目に狂いはない。 木取りをした素材は、日陰で乾燥され、旋盤や帯鋸を使って加工される。木製品は、用途的な機能性も大切であるが、天然の木目をいかに活かすかの気配りに苦労されているようである。 現在、製品化しているのは、そば打ち用具として、こね鉢(大小各種)をはじめ、延ばし板・麺棒・もろぶた・そば切りまな板など「もくもく工房」を訪ねれば一式揃う。 創業をはじめて11年余り、その間食の健康志向ブームと地域における伝統食文化に対する高まりによりそばの消費が伸び、合わせて遊び心でのそば打ちの体験希望者が増え、そば道場的体験施設が各地に誕生するとともに、家庭にも備え付ける人が出来るなど、そば打ち道具の需要が増加し、今日までに県内は勿論遠くは北海道、九州まで納品している。 |
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6.そばの消費拡大のための施設づくりと新商品の開発 |
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| そばは、栽培期間中、雨の多い年は不作である。例えば平成10年には蒔いた種子量程度の収量しかなかった年もあり豊凶の差もあるが、町内約60fの栽培面積の定着により毎年35トン前後の収量が確保される見通しとなり、この収穫された玄そばの消費拡大を講ずる施策が必要になってきた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(1)町民が親しみをもつための施設づくり |
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(2)国道が取り持つ緑で「乃もっ茶」を(平成11年1月) |
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7.そばにちなんだイベント |
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8.おわりに |
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| 特産物をまちおこしの核とする試みは各地で行われているが、新たに生み出した特産物は通常深味がないように思う。また、それを中心とした町おこしについて、住民に理解を得るのには時間が必要である。そのような意味も含め本町としては、玄そばの生産から始まりこれを食品に加工する道具の製造、関連施設の整備、イベントなど一体性をもった取り組みを行い、町内外との交流を深めつつ住民総参加のもと、また、関係機関との連携を保ちながら、知恵と汗を出し合い町の基本理念である「夢ふくらむ新起源交流のまち今庄」の実現に向け邁進する所存です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地域に育む「そばの食文化」の継承 |
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| 山梨県南巨摩郡早川町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 私たちの町、早川町では地域づくりと活性化の一環として毎年秋、11月の第2日曜日に南アルプス紅葉とそば祭というタイトルで日本そばをメインとした祭りを企画してこの度で6回を数えました。紹介している写真は、昨年軟の第6回のものです。何故“そば”かというと、私たちの町にもそれなりの理由があります。 早川町は昭和31年、南アルプスを源流として、日本三大急流の一つ、富士川に注ぐ早川流域六ヶ村(370平方キロ)が合併した町です。急端な南アルプスを背景とした地だけに水田は全くなく歴史的に農業は長いこと焼畑農耕で生き続けた土地で、私たちが子どもの頃、戦後30年代まで焼畑農耕が続きました。こうした中から地域のそばの食文化も育ってきました。町では過疎化の進行と古いものが消えていこうとしている時、昭和59年、700点におよぶ焼畑農耕を中心とした民俗資料(重要有形民族文化財・文化庁指定)の保存に成功し、あわせて、そばの食文化の存続に努力し、町営のそば処も町民の努力で建設いたしました。各農家が細々ではありますが日本そばの栽培に精をだし今日に至っています。そば祭にはそれぞれの婦人団体が参加し、3,000食以上にのぽる手打ちそばの競演をし、祭りを盛り上げてくれます。 今後の課題ですが、町の機関で”日本そば研究所”の設立を検討中です。 |
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| (早川町長 辻 一事) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本の山村の原風景とそばの食文化を次代へつなぐために |
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| 富山県東砺波郡利賀村 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「みんなで農作業の日」の種まき体験 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 平成12年7月、村内の棚田で、そばの種まきが行われました。その田んぽは15年前に耕作放棄されて以来、荒れ地になっていたところです。重機での抜根作業を終えて、久しぶりにくろぐろと顔を出した土の上へ、「みんなで農作業の日」を合言葉に、村内外の有志90名が集まりました。 参加者は、村にTターン、Uターンした新村民をはじめ農作業は初めてという都市の住民や子どもたち、また、そばが縁で姉妹村となったネパール・ツクチェ村からの青年技術者も加わりました。 作業は、まず、畑の石や草の根っこ拾いから始まりました。子どもたちも小さな手で一生懸命手伝います。トラクターで畝を立てた後、そばの種をまきましたが手押し種まき機に挑戦した親子は、思うように進まない車に悪戦苦闘。村民が手ほどきをする微笑ましい光景も見られました。 「農地を復元する大変さと大切さがわかりました」と汗をぬぐう人々。その努力は、秋には実りの穂波となって、よみがえった棚田から収穫されました。 |
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食ブームの根っこ・農業を見直す |
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| 「演劇」と「そば」を柱に、交流人口を呼び込みながらむらおこしを図ってきた利賀村ですが、村の根幹は、全人口の65%が兼業も含めて従事している「農業」にあります。しかし、現在多くの中山間地域がそうであるように、進む過疎化や高齢化、農業をめぐる諸情勢のなかで、その先行きが懸念されています。先人が苦心して拓いた耕作地の80%を占める棚田も、維持できずに放棄されるケースが増えてきました。 米を作るだけではない、美しい環境や生態系のふところとしての、棚田の多面的機能の重要性は誰もが理解していながら、次代へつなぐ担い手が足りません。食生活が豊かになり、グルメ料理や食材の情報はあふれるほどですが、人々の関心は、食を産みだすおおもとの農山漁村にまで及んでいないのが現状のように思われます。 そのため、村では財団法人利賀村農業公杜を設立し、村民の農業への意欲を支援するとともに、一般の人々にも体験を通じて農業の未来を考えてもらおうと、「みんなで農作業の日」を実施しました。 近年注目を集めているグリーン・ツーリズムも、基本は、元気な農村です。これからも、毎年テーマを決めて「みんなで農作業の日」を行い、日本の山村の原風景である棚田の復元に取り組みたいと考えています。 |
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2万人の「そば祭り」から、30人の「そば紀行」まで |
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| 平成12年度も、地域活性化の一環として、そばにまつわる四季のイベントを展開しました。 8月には、初めての試みとなる「とが利賀めん麺祭り」を開催。利賀村出身会から寄贈された数千個の風鈴と、村民手づくりの噴水オブジェが涼を呼ぶ会場で、手打ちのざるそばや流しそうめんを提供しました。10月の恒例「ど〜んと利賀の山祭り」では、利賀村のそば体験の本拠「そばの郷」で、秋の山の幸とともに新そばの風味を楽しんでいただきました。 明けて13年2月の「利賀そば祭り」は、沖縄・首里城など40基の雪像で飾られた会場に、3日間で2万人を超える来場者を迎えて、近年一番の盛況となりました。そば粉100%の本格手打ちそばやイワナの塩焼き、山菜といったおなじみの品書きに加えて、そばっころ鍋やリゾット、饅頭など、毎年、出展者が和洋中さまぎまのメニューを工夫していることが特徴です。 これらを、誰もが楽しめるメジャーイベントとするなら、入場限定のこだわりイベントと呼べるものが「利賀そば紀行」です。「そばの郷」にある3軒のそば店が月替わりで、季節の食材とそばのオリジナルメニューを創案し、ジャズライブや落語などの演出を凝らして、楽しい食のひとときを振舞うというものでした。 食のイベントは楽しく、やりがいもあるものです。しかし、全麺協の設立趣旨にもあるように、「手段であるはずのイベントがいつの間にかマンネリ化し、目的化してしまう」危惧は、当村でも常に議論されるところです。 先年より、「お客さんが求めている味、もてなし、雰囲気は何か」「村民がやる気になる参加の方法」「年間のイベントを効率的に運営する統合組織」など、若手村民が率先してアイデアを出し、検討を重ねてきたひとつの成果を、この冬の「そば祭り」に見ることができました。 この手ごたえを励みとして、新たな利賀ファン獲得と地域の活性化につながる、そばのイベントのさらなる盛り上がりをめざしたいものです。 |
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そばと温泉の、健康なとりあわせ |
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| 心身のリフレッシュと安らぎを求める健康志向の高まりのなかで、自然食の代表、そばとともに人気があるのが、村内の天然温泉です。利賀川すじの既存宿泊施設「そばの郷温泉」のリニューアルに加えて、平成12年9月には、百瀬川沿いに「利賀天竺(てんじく)温泉の郷」がオープンしました。緑の山なみを一望する標高700mの露天風呂でくつろいで、湯あがりに味わうそばの味は格別と、好評を博しています。 周辺には農園も計画されており、温泉のレストランに新鮮な食材を供給することで、そばをはじめとする地場産品のいっそうの消費拡大が期待されます。 |
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そばの味は、母村(ぽそん)のぬくもり |
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| この十数年間、利賀村では、「そば」からさまざまなむらおこしが形になりました。 村民親睦の「そば会」から生まれた「そば祭り」の開催。そばへのこだわりの発信地となった「そばの郷」の建設。そばのルーツを求めて出会った、ネパール・ツクチェ村との国際交流と、そのなかから実現した曼茶羅のミュージアム「瞑想の郷」。ひと夏で村の人口の13倍もの来場者を迎えた「世界そば博覧会」では、後に全麺協会員となられる各市町村との友好交流を結ぶことができました。 このような恵まれた軌跡を振りかえるとき、改めて、利賀村を守り伝えた先人の苦労と、じつは足もとにあった「ふるさとの財産」に気づかされます。 21世紀を迎えるにあたり、村では新たな施策として、全国各地で活動されている本村出身会と連携して「母村利賀ネットワーク交流事業」を立ち上げました。ネットワークの趣旨は、ふるさと利賀村と、村民と、ゆかりの人々とが手をたずさえて、村の未来を支え、互いも発展していこうというものです。 そのお披露目となった平成12年11月の「ふるさと利賀村へ集う日」では、全国から参加した350余名の「利賀母村民」が、初めて一堂に会した機会を喜び、村の将来を語りあいました。 「貧しさの象徴だったそばが、いまでは村の財産になるとは」と、かつての利賀村を知る世代は感慨深げでした。そばに生かされ、そばを活かしてきたむらづくりが、母村の絆とともにますます発展する新世紀となるよう、さらに努力していく所存です。 |
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そば畑の風景と、そば打つ響きを村じゅうに |
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| 毎年、小学生から大人まで、大勢の方が利賀村にそば打ち体験にいらっしゃいます。その目的はさまぎまでしょうが、わずかな時間でも、そばという食文化を育んだ山村の暮らしに思いを巡らせていただけたら幸いです。 村の古老は「そばは、土の味、雨の味、天気の味、それをひとつにした恵み深い食べ物」と言います。ひと口のなかに、水と緑がおりなす美しい風景や、村人の素朴なやさしさまで浮かんでくるような、利賀村ならではのそばをこれからも味わっていただきたいと思います。 母村ネットワークで、わが村の足もとを見つめなおしたように、今年度は、農業とそばについても原点からじっくりと取り組むときになるでしょう。 はじめにも述べた通り、村内の耕作放棄田を着実に復元して、自然と人が作りあげた美しい棚田の景観を取り戻していくこと。「みんなで農作業の日」では皆さんの力もお借りして、利賀の白いそばと、ツクチェゆかりのピンクのそばの花が並び咲く畑を増やしていくことが、これからの課題です。 さらに、本格手打ちそばを味わっていただく機会を広げるために、村内に手打ちのスペシャリストを育成すること。たとえば、民宿へのそば打ち指導なども検討しています。利賀村で手打ちの楽しさを覚えた方々に、全麺協認定の「素人そば打ち段位」を大いに目指していただきたいものです。 利賀村は今年も、山の自然と語りあいながら農業をし、そばを育てていきます。そして半年後には豊作をお知らせできるよう、村民一同願っております。 |
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| (利賀村長 米澤博孝) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会津そばトピア会議設立10周年を迎えて |
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| 会津そばトピア会議 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 会津そばトピア会議は、会津のそばによるむらおこしの広域ネットワークとして平成3年に設立し、今年で10周年を迎えました。 会津のそばのむらおこしは、昭和59年に山都町で始まり、会津一円に広がりを見せ各地でそばまつりが開催され大きなうねりになりました。しかし、それはそれぞれが勝手に、思い思いにやっているだけで地域の連携がなく、大きな力にはならなかったのです。 そこで、県の協力を取り付け、各市町村長にネットワーク化を呼びかけました。多くの市町村が賛同し、当時、むらおこしの先駆者として全国的に有名だった三島町長の佐藤長雄氏に会長を依頼したがなかなか引き受けてもらえず、持久戦の末ようやく就任を取り付け、平成3年10月末に「会津そばトピア会議」が13市町村、62の会員で発足しました。現在は18市町村、83会員に広がりました。 当時、ひとつのことで行政の垣根を終えたネットワーク活動は珍しく、マスコミにも多く取り上げられ、短期間のうちに多くの成果を上げることができました。 この度、発行した「会津そばトピア会議十周年誌」をご一読いただければその内容はご理解いただけると思います。(全麺協会員に配送済) 最初の事業は「会津冬の陣」の観光イベントで顔も合わせたことのないそば関係者が交流を深めながら行ったそば長屋でした。 富山県利賀村で開催された「世界そば博」に参加して、会津でもこんなイベントをやってみたいという共通目標を掲げ実現したのが、『第一回日本新そばまつりin会津』です。 山都町の「飯豊とそばの里センター」の開館を記念したもので、11月3日から11日間のロングランイベントでした。 全麺協の初めての支援事業として、みなさんの応援を受け「全国そばサミット」を開催したのを昨日のことのように思い出されます。 その後、超一流の講師陣を招き専門的な学習を重ね、さまざまな事業、イベントを通して交流、親睦を図り、全麺協のイベントにも積極的に参加し、多くのことを学び、人脈も広がり今日に至っております。 |
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設立10周年記念式典の開催報告 |
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| 平成13年3月25日 喜多方市の喜多方プラザで「会津そばトビア会議 設立10周年記念式典」を開催しました。 福島県知事をはじめ多くの来賓を迎え、盛大におこなわれました。 和田五郎会長の式辞では、全麺協はじめ多くの方々のご協力に心から感謝と御礼をのべて、今や会津は、「日本一の秋そばの郷」になったと宣言し、さらなる玄ソバの質の向上とそばによる交流人口の増加を図るために一致協力して今後の事業に取り組むことを述べました。 県知事、喜多方市長から祝辞があり、この10年間で会津は有名なソバの産地になり、そば処としてもゆるぎない地位を確立し、今後は、もっと高いそば文化の構築をめざしてそばのユートピア実現に向けて頑張ってほしいと励まされました。 記念講演では、「そばのむらおこしが日本のそば文化を変えた」を演題に、農林水産省関東農政局農村振興課の松村広一氏による基調講演がおこなわれました。ファーストフードからスローフードヘ食事を楽しむ文化を改めて見直してみる必要性、また、ブランドとは何を顧客に約束するか、安全、安心、新鮮は言うまでもないが地域性、歴史観、文化をどう表現し、そこに住む人の魅力を増進させることの大切さなど多くの示唆を与えていただきました。 会津そばサミットでは、福島大学の守友祐一教授をコーディネーターに迎え、全麺協会長・山都町長 吉田昭一氏、猪苗代町長 津金要雄氏、会津そばトピア会議会長 和田五郎の3名による会津そばの経過と現状、今後の課題が熱く語られました。 今までの連携が現在のそばの郷をはぐくみ、大きなカになり、会津全体がそばの郷として全国的に有名になり、そばを食べに来る交流人口の増加を生んでいます。その代表的な例が山都町の宮古地区で、年間3万人以上ものお客さまが13軒の農家そば屋に訪れ、これぞグリーンツーリズムの成功例といえるのではないでしょうか。 今後は、さらに連携を深め、それぞれの市町村が独自の工夫を凝らし、特徴あるそばの振興を図ることが必要に求められます。また、良質な玄ソバの生産と付加価値のとれる加工技術の確立、商品開発と販路拡大をどの様に進めるかが今後の課題となりました。 祝賀会は、会場を移し、県麺類生活衛生同業組合連合会理事長の祝辞、喜多方市長の乾杯の音頭で10周年を祝い、喜多方地区の名人の打ったそばが振る舞われ、長谷川副会長の「会津そば口上」が披露され華を添えました。 |
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| (会津そばトピア会議事務局長 唐橋 宏) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ソバ作付日本一、研究開発に力がはいる |
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| 北海道雨竜郡幌加内町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 幌加内町には、日本一といわれるものが3つある。 表面積日本一の人造湖「朱鞠内湖」があり、1978年(昭和53年)2月17日に記録したマイナス41.2℃の日本一の寒さである。 もう一つの日本一は、「ソバ」であり、作付日本一となっている。全国のソバの作付面積の1/4は北海道。その北海道の1/4の作付、2,358haの作付を占めているのが幌加内町である。 幌加内ソバは、玄ソバで出荷しているのが大半であるが、既存の乾燥調整施設での処理能力には限度があり、適期収穫が難しい状況にあったが、昨年、ソバ乾燥調整施設を増設し、乾燥方法は、従来の乾燥方法に変え、自然乾燥に近いマドラー方式を使った乾燥調整施設とし、処理能力も1日220トンに向上させ、本町のソバも20日程度で集荷できるようになった。 一昨年までソバの乾燥調整に約70日程要していたが、乾燥調整施設の増設により、集荷日数が20日に短縮され、これに伴い、ソバの脱粒が少なくなり、また、自然乾燥方式によるため、ソバの高品質化が図られ農家所得の向上につながった。 幌加内ソバの知名度はまだ低く、一般消費者に一部知られるようになったが、有名産地のような知名度はない。 知名度の向上を図るために、そば活性化協議会を中心として、そば祭り実行委員会、そばうたん会などの組織と連携しながら、毎年そば祭りの開催、そば道場、そばオーナー制度などの事業に取り組んで活動を展開しており、徐々にその効果も上がってきている。 一方、ソバの品種改良の試験研究、ソバの有効活用事業の取り組みは、行政が中心となって取り組んでいるので、その内容を紹介することにする |
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1.本町独自のソバ品種開発 |
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| 現在、北海道における主要品種は1990年に種苗登録されたキタワセソバで、育成から11年の歳月が経過している。また、ソバの反収は120kg程度と戦後あまり変化していない。これらのことからもソバの育種は、他の作目に比べ、非常に遅れていることがわかる。一方、国内産玄ソバは輸入ソバとは品質の点で差別化されているものの、低価格の輸入ソバに抑えられ、その価格は低迷している。 そこで、本町では本町産の玄ソバ生産と価格の安定を目的に、独自ブランド・独自品種の開発を行うことになった。品種開発の開始に当たり、育種目標を@多収性、A高機能性の2点に定めた。 |
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(1)多収性品種の開発 |
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| 多収性を実現するため、多収性個体の選抜、分枝発生の調節による同時登熟性の附与、1960年頃にロシアで報告されたソバの有限伸育性を利用した草型の改良等を試みた。その結果、有限伸育性と同時登熟性を示す「幌系3号(ほろみのり:現在、品種登録出願中)」の育生に成功したのでその経緯と特性を後述する。1997年に幌加内町で栽培された‘キタワセソバ’約52,000個体の中から、開花最盛期以降に有限伸育性の形態特性である有限花序(図1−A)を有する22個体を選抜した。これら有限伸育性個体には目印を付け(図1−B)、成熟期に採種した。1997年10月に収集した22個体から有限伸育性の固定した集団を育成するため、22個体から得られた種子を混合し、無作為に300粒抽出し播種した。287個体が生育し、すべて無限伸育性を示した。1998年2月に287個体を放任受粉して得られた種子を混合し、無作為に300粒を抽出して播種した。292個体が生育し、有限伸育性個体と無限伸育性個体が72:220の割合で出現した。72個体の有限伸育性個体を選抜、開花順に8個体ずつ9グループに分け隔離栽培した。生育良好であった7グループ56個体を選抜した。1998年6月に56個体から得られた種子を混合し、無作為に1,000粒を抽出して播種した。932個体が生育し、すべて有限伸育性を示したので、この集団を有限伸育性集団とした。1998年7月に有限伸育性集団から栄養生長節数が5節以下で、下位分枝の発生と開花始の早い45個体(図1−C)を選抜し隔離栽培した。10月に45個体から得られた種子を混合し、無作為に300粒を抽出後播種し、同様の選抜を行った。1999年2月〜5月に選抜系統の均一性を確認し、均一性が確認できたので有限伸育性ソバ系統「幌系3号(ほろみのり)」(図1−D)として生産力検定を実施した。 その結果、「幌系3号(ほろみのり)」は有限伸育性を示し、育成地(北海道雨竜郡幌加内町)における成熟期はかなり早く、草丈が極短、子実千粒垂が重い。生態型が夏型で、草型は直立・短枝型で分枝数はやや少く、有限伸育性を示す。主茎節数はかなり少で、草丈および主茎長は極短である。茎色は淡紅で、花色は白、果皮色は黒である。発牙揃いは良好で、開花が早く揃う。成熟期はかなり早く、登熟揃いが良好で、脱粒の難易は中である。粒揃いは整で、子実品質は良で、子実千粒重は重である。製粉歩留まりは中、食味は中である。耐倒伏性はやや強である特性を示した。 |
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(2)高機能性品種の開発 |
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| ソバはタンパク質やビタミンB群を多く含み、動脈硬化や高血圧を抑えるルチンを含む健康食品として古くから親しまれてきた。また、近年ソバに含まれるソバポリフェノールの大腸癌等を抑える働きが明らかになり、その機能性が一層注目されている。そこで、これら機能性の高いソバ品種を育成するために、ルチンやシスチンなどの機能性成分を多く含んでいるが、種子が小さく、苦みを有しているダッタンソバ(苦ソバ)との雑種作出を試みた。1993年から交雑を開始し、1995年雑種作出に成功した。現在、雑種個体の中から普通ソバなみの子実品質と高機能性を合わせもった個体の選抜を行っている。 一方、高品質・高機能性個体を効率的に選抜するため、高品質・高機能性を示す指標を検索しているが充分な成果には到っていない。 これらの取組は現在のところ、品種登録出願中の品種が1つ出来上がったところで、独自のブランド開発には至ってはいない。今後、育成した品種を核にブランド化を図っていく。 |
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2.ソパ殻の有効利用 |
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| 第3セクターの(株)ほろかない振興公社のそば工場から、年間約35トンのソバ穀が排出され、これを処分する場合、産業廃棄物となるため、このソバ殻の有効活用について、北海道大学、民間企業、町の3者共同で試験研究を行うことになった。 ソバには昔から農薬を必要としないほど除草、防虫効果があることが知られている。また、ルチン、ポリフェノールなど人間の健康に効果のある成分が含有されていることが知られており、分類すると下記の内容となる。 |
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| 上記の効用試験及びソバに含有されている成分を抽出するための技術試験を平成12年度に下記の内容で実施することになった。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【平成12年度研究概要】 |
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| ソバ殻は水分が非常に少なく、油分が多いため、通常の乾留方式では、炭化もしないし、活性成分の抽出も困難であった。そこで乾留前にソバ殺に給水させ、含水率を30%以上にして、乾留窯温度の昇温時間を長くする低温湿潤乾留法を確立させた。 この方法では、ソバエキス抽出後、ソバ殻酢とソバ穀炭が生産され、廃棄物は全くない。 初期の段階では、ソバ殻から木炭、木酢液の製造に用いられている乾留炭化法でソバ殻炭、ソバ殻酢を製造し、様々な用途に向けての乾留条件の適正化を計ることを考えていたが、単にソバ殺を炭化し、ソバ穀炭とソバ殻酢を製造するだけでなく、より低温で乾留してソバ殺に含まれる有効成分を変性させることなく抽出し、後に炭化を行う2段階乾留を行う方法が一番望ましい方法との結論になり、低温混潤乾留機の開発となった。12年度の研究では、ソバ殻エキス、ソバ殻酢、ソバ穀炭の製造方法が確立されたが、来年度以降は、ソバに含有する有効成分を乾留機の炉内温度が何度の時に最大抽出できるかの試験研究を行う予定である。 |
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ソバ殻エキス作物試験 |
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| ソバ穀酢液は、採取時の炉内温度で成分に大きな違いがあるため、温度帯を三つに分けて採取し、ダイズに散布。病虫害の発生状況、生育及び収量に及ぼす影響を検討した。 試験結果では、昨年害虫の発生数が少なく比較検討が出来なかったが、生育、収量に関しては、通常作付区よりソバ穀エキスを散布(500倍希釈、100g/10a、2週間おきに5回)した試験区では10%〜15%の収量が増加した。 |
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ソバ殻炭作物試験 |
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| ソバ殺炭を土壌改良剤として試験区に10aあたり5トンを施用し、大根による試験を行った。 は種後の生育状況では、無施用区の生育が良く、ソバ殻炭の施用区の生育が悪かった。原因は、ソバ殻炭は透水性が良く、は種後の好天続きにより、土壌水分が減少したことによるものであった。 収量結果では、ソバ穀炭施用区より無施用区が多かったが、無施用区の大根には虫害が100%発生しているのに対し、ソバ穀炭施用区の大根の虫害発生は皆無であった。 また、ソバ殻炭の園芸用土壌改良剤としての試験を依頼した結果、ソバ殻炭の施用鉢の根数が多く出現し、土壌改良剤としての活用はできるとの返答をいただいた。 以上の内容が、12年度の試験研究の結果であるが、13年度以降は、試験研究の継続と実用化テストを開始する予定である。 本町の試験研究の情報を得て、関係業界から、ソバ穀炭の活用の問い合わせもあり、将来商品化につながれば、ソバによる町おこしにもつながってくる。 |
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“そばの里づくり”への取り組み |
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| 鳥取県気高郡鹿野町 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 鹿野町は人口約5000人の山陰の小さな城下町です。美しい自然に囲まれ温泉の湧く歴史とロマンのある町です。 鹿野町は、平成4年度策定の長期計画において基本目標を「四季薫る町 鹿野」として温泉と花を通じて人々がふれあう、やすらぎとゆとりを感じることができる町づくりを掲げています。 この四季薫る町 鹿野の構想の一つに城下町にふさわしい特産品づくりとして、平成7年度より本格的にそば栽培に取り組み、平成12年度は50fが栽培されました。 栽培されたそばは全て鹿野ふるさと振興公社の受託により刈り取り、乾燥、調整を行い低温恒湿倉庫で保管し、石臼機3台で製粉しています。玄そばは当公社が222円/kgで買い上げた上、300円/kgの出荷奨励金を出しています。さらに、10,000円/10aを鹿野町が転作奨励金として加算し、そばの里づくりとしての振興を図っています。 平成9年4月、交流人口の増加と情報発信の拠点施設として、鹿野そば道場を建設し鹿野ふるさと振興公社に管理運営を委託している。 当道揚は年間30,000人種度の利用客があり、流入人口の増加、雇用の場の創出など地域活性化の一つに繋がっています。 そば道場は体験コーナーと食堂コーナーがあり、鹿野町産そば粉100%の手打ち10割そばが体験し、食べられるとあって県内は勿論、京阪神方面からのお客様で 休祭日は満員の状況です。 鹿野そばの普及振興のため春と秋に開催される町イベントと県主催のイベントでは各600食、年越しそばは1,200食程度を提供しているとともに県内各地で催される事業、イベントなどには積極的に出店しており、鹿野そばの知名度も高くなってきました。 12年度は天候に恵まれ、玄そば総重量26tの収穫があったこともあり、そば関連新商品の開発販売と生産技術の向上を図るため、今まで県内各そば産地は個々に生産販売活動を展開してきたが、今後はお互いに競争ではなく協調、連携しながら力をつけることが必要とのことにより県内の中山間地でそば栽培、そば加工品などを提供販売している団体(国府町、溝口町、会見町)が平成12年11月に鳥取ソバネットワークを結成し、消費者団体をふくめながら、そばどころ鳥取を目指して事業展開に取り組んでいるところです。 鳥取県内で最初にそば栽培を大々的に取り組み、地元産そばをそば道場で提供しているとの成功事例で中四国管内、遠くは東北地方より視察研修に来られますが、今日があるのもそば生産者および地元住民の協力と理解がなければ不可能であり、より一層住民を巻き込みながらそばを核にした地域振興と活性化に努め、鳥取そば、鹿野そばのブランド化を図っていきたいと思っています。 |
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そば祭り実行委員会の実践 |
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| 幌加内そば祭実行委員会 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1.地域課題 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生産量・品質共に全国一の「幌加内そば」によるまちおこし/「幌加内町新そば祭り」へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.「そば祭り実行委員会」から「そば活性化協議会」へ |
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| 幌加内町は作付け面積・生産量・品質共に全国一を誇るそばの一大産地です。ところが、玄そばの供給基地として全国へ販売しているため、長野へ売れば銘柄が信州そばとなるように、幌加内町の知名度がなかなか全国銘柄にならない悩みがあります。 そこで、幌加内のそば資源を生かして地域の活性化を図ろうと“そば祭り”の企画が固まり、平成6年(1994年)「幌加内町そば祭り実行委員会」が結成されました。 この年から3年間は、北の大地に咲き誇る白いジユータン:そばの花を見てもらおうと7月下旬に開催し、北海道で初めて「そばによる町づくり」をテーマにシンポジウムを拓いて、幌加内そばのブランド化やそばによる世界貢献への挑戦などを確認し合いました。 4回目となる平成9年(1997年)は、幌加内町の開基百年記念事業のメイン・イベント「日本新そば祭り’97inほろかない」として、幌加内産の食味・風味豊かな美味しい新そばを食べてもらおうと“とりたて・ふきたて・うちたて・ゆでたて”をキャッチフレーズに新そばの季節:8月末に3日間開催いたしました。 この年を起点として“そば祭り”としての体裁が整い、町民のみならず周辺市町村からも注目されるイベントヘの成長していきました。 このような盛り上がりの中で、さらに積極的な展開を図るためにと、実行委員会の上部組織として「幌加内町そば活性化協議会」が平成11年(1999年)7月に旗揚げされました。町・農協・商工会・観光協会・空知北部農業改良普及センターの支援協力関係機関5団体と関係活動団体20が連帯して支え合う体制が整備されたのです。 幌加内高校は学習教育の一環として、地域特性を生かした地域社会の活動に積極的に参加し、「知恵」と「工夫」を学習し「生きる力」を育むことを目指して、本協議会の会員になり意欲的に活動しています。地元の高校生をも巻き込み、住民有志から沸き起こった町おこしの取り組みが、町全体の動きとして新たな展開を迎えています。 |
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3.「第6回幌加内町新そば繁り’99inほろかない」の報告 |
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| 9月4日(土)、5日(日)幌加内町役場周辺を会場に開催された“そば祭り”は、15,000人のお客様をお迎えできたらとの予想を大きく上回って、28,000人を越える来場者があり大盛況でした。町への観光客誘致の点でも大きくイメージアップしたことを喜んでいます。主な催しは次の通りです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(1)新そば献上祭 |
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| 幌加内町のそば栽培も20年余年の歴史を重ね、名実共に町の特産品に成長し、町おこしの起爆剤となっています。そこで、「そばの町:幌加内」を確固たるものにするため、手打ちそばを神に献納して日頃の感謝の気持ちを表し、「幌加内そば文化」の振興を図る神事として「新そば献上祭」を厳粛に挙行しました。この神事は、今後も継続をしたいと考えています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2)全国素人そば打ち名人大会北海道予選 |
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| この大会は、全国麺類文化地域間交流推進協議会の主催する全国そば打ち名人大会(全麺協三段位認定大会)への出場権をかけ、初段・二段位の認定と名人位を競う大会です。幌加内産の新そば粉を使い、持ち時間40分でそばを打ち、切り幅、切りぞろい率で判定するもので、今年は全道各地から40人が挑戦しました。 今年は、地元から「幌加内そばうたん会」のメンバーと幌加内高校の生徒など幅広い分野から挑戦があり、初段位21名(内高校生2名)・二段位3名(内高校生1名)が認定されました。全国大会でも三段位1名が認定され、高校生が特別賞をいただきました。 なお、幌加内高校ではクラブ活動の一環として「そば研究班」が設けられ、そば打ち研究も毎月1回実施するなど力を入れている成果が現れてきています。 |
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(3)全国そば食べ歩き広場 |
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| 全国のそば処やそばで町おこしを実践している市町村に呼びかけ出店していただき、多彩な全国の“そばの味”を来場者に十分堪能していただく広場を展開しました。町内8出店に、道内だけでなく、福井県・群馬県・静岡県・東京都からの出店を含め14店舗が軒を連ねました。「ぶっかけ大エビ天そば」など、工夫を凝らした逸品が勢揃いいて大好評でした。 今回は、町内のそば生産農家の3店舗の出店が出食でした。特に、本町平和蓄の39戸の農家が去年の12月から町内の「そば道場」で毎週そば打ちの修行を積んで出店した「猫又食堂」は人気がありました。生産農家自らが育てたそばに付加価値をつけるこの出店は、今後に期待を抱かせてくれます。 |
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(4)そば早喰い大会 |
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| 恒例のこの催しには出場希望者が多く、整理券を配布し抽選で出場者を決定したほどです。男子A・B組、女子A・B組、小学生男・女組の各組8名とペア5組の2回制に分かれて、3枚のざるそばの早喰いを競い合いました。 司会者の“スタート”の声がかかると、一斉にそばを口一杯に詰め込んでいる様子に見物客も応援団も一喜一憂し楽しんでいました。全員が参加賞をもらい、三位までは商品までいただいて、身も心も満足感にひたっていました。 |
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4.膨らむ“夢と希望のある農業・農村を創る”ための構想 |
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| (1)「世界そば博覧会」構想に向けて | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 平成12年(2000年)7月のそば活性化協議会の役員会で、「夢・創出、幌加内そばの里づくり構想」を検討に値すると承認されたことにより、それと連動する計画の一端である「世界そば博覧会」構想が一躍現実味を帯びました。町民の合意形成と機関・団体の連携を図りながら煮詰めていきたい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2)幌加内そばのブランド化確立のため、栽培技術の一層の向上を図る研究の充実 |
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| 全国・全道のそば産地と交流し、インターネットを活用した広報活動を研究活動へと拡げ充実化を図っていきたい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3)イベントを活用して他の特産品を紹介し、幌加内農業の振興を図っていきたい。 |
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| (幌加内そば祭実行委員会委員長 北村 忠一) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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名人位を目指して、そば打ちの技を競う |
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| 越前そば道場 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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〜福井県発〜 『第5回記念全日本素人そば打ち名人大会』盛大に開催 |
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| 今回は、第5回を記念し、名人杯のトロフィを作成(歴代名人の名を記し福井県に保存する)これまでに無い企画の元で開催しました。参加者は、南は広島県から北は青森県まで全国津々浦々からご参加いただき予選で入賞し、本大会に出場すること事態なかなか容易なことではありませんでした。今や、この大会が全国的イベントとして定着してきたことを関係者一同大変うれしく思います。以下の通り本大会の結果をご報告いたします。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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これまでの名人 |
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| 第1回大会(1996年) 折笠 和夫氏(福島県) 第2回大会(1997年) 長各川 徹氏(福島県) 第3回大会(1998年) 益子 正巳氏(茨城県) 第4回大会(1999年) 川上 正義氏(東京都) |
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| 第6回大会は“おろしそば”の生みの親で府中城主の本多富正公人府400年を記念して意義ある大会として進められています。東京都、大阪府、名古屋市の予選は終了いたしました。全麺協および福井県における予選会は順次実施されます。これからもどうぞご協力を賜りますようよろしくお願いいたします。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| (越前そば道場代表 中山 重成) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「食と農」を融合したそば処 |
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| そば処もえぎ野 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 松本平の西南端に位置する信州朝日村は、総面積の約88%を山林が占める自然がいっぱいの村です。現在、農業の中心は高原野菜の生産であり、国内有数の産地 でもあります。春から秋にかけて塩尻市へ通じる通称日本アルプスサラダ街道を、出荷のクルマが新顔羊な野菜を満載して関東・中京・九州方面へと走っていきます。 そんな朝日村には古くからそばの食文化があり、今もその技は多くの家庭に脈々と引き継がれています。そば切りの起源は約300年程前、中山道本山宿(現在の長野県塩尻市本山)が発祥の地とも言われています。本山と朝日村とは隣接しており、同時期よりそば切りを食していたものと思われます。 そんな歴史を背景に、平成8年8月に「もえぎ野」は誕生しました。食事処はもちろんのこと、そばの種まきからそば打ちまでを丸ごと体験できるオーナー制度を取り入れた、まさに、食と農を融合をしたユニークなそば処であります。 |
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1.食堂部門 |
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| 本物志向にこだわり、提供するそばの大半は自家栽培・契約栽培とし、年による減収等の不足分は他に委ねている。また、店頭には石臼挽き製粉機を据え100%自家製粉で賄っている。「こだわりの食」「懐かしの食」「安全な食」をテーマに、昔から地域に伝わるそばの食べ方も取り入れている。中でも下記にあげるメニューは信州特有であり人気メニューである。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2.あさひそば打ち道場 |
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| そば処「もえぎ野」に併設されたあさひそば打ち道場では地域の皆さんを初め多くの方に気軽にそば打ち体験して頂だけるよう1日2回教室を開いています。 料金は1打4人前で2,500円、共同で打つ場合は1人増す毎に1,000円の追加料金が必要となります。今まで、近隣の方はもちろん、遠くは関東・中京・関西からも団体を含め多くの方が体験にやってきます。時には、外国からも日本の食文化に接していきます。 来場者の中には趣味としてのそば打ちを極めたい方が年々増えております。その要望に応えて、全麺協「素人そば打ち段位認定大会」第1回信州朝日村大会を平成12年10月29日(日)に当会員の皆様のお力添えを頂きながら実施致しました。 審査員に「上野やぶそば」三代目当主鵜飼良平先生を迎え、盛大に大会を行う事が出来ました。 2段位認定の受験者が7名中7名合格、初段位認定の受験者が15名中14名合格と大変好成績を納めました。 段位認定制度により練習する張り合いが出たと好評を頂いた為、信州朝日村大会を継続して実施したいと考えております。そして、そば文化の更なる発展のための1つの拠点となるよう努力していきたいと思います。 |
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3.そば栽培オーナー農園 (参考資料1参照) |
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| そば通には見逃せないそばのオーナー制度。そばを育て、収穫し、打って、食べる究極の体験。そばオーナー制度は1区画約50平方メートルを家族または4人以下のグループに2万円で貸し出すシステム。基本的にはスタッフの指導のもとで行われるそばの種まき、花見、収穫、そば打ちなどの行事に最低3回参加できる人だけに限る。もし、この条件を満たせない場合は別途付加管理料が必要。体験費用にはそばの種や肥料、農具の貸し出し、そば打ち体験料などが含まれる。1区画につき予定収量の玄そば5kg以上(そば粉にして4kg以上・約30〜40人前)が収穫できなかった場合は、そば粉4kgを保証する。 種まきは7月下旬、草取りと土寄せ8月中旬、収穫が10月中旬、収穫祭が11月〜12月。募集期間は毎年5月1日〜6月20日。応募者多数の場合は抽選になる。 平成12年度は57区画の応募があり、家族含め約200名のメンバーが参加した。 割合としては県内40%・県外60%と都会からの参加者が比較的多い。又年齢層は20歳代〜60歳代と幅広い分布となっている。2回以上のリピート客が40%を占め、制度開始から5年間パーフェクトに参加されている方々も6組ほどいます。 今後、そば栽培オーナー制度を義務教育における地域学習の場にも利用して頂くよう推進していこうと考えています。 |
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4.ネット上にホームページの開設 |
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| 昨今、ビジネスにおいてIT革命は不可欠と言われております。従来は、我々のような中山間地の店舗への集客を図るためには時間と宣伝コストが掛かってしまいました。低コストで出来る宣伝活動を考えた場合、やはり、ホームページを開設の方策があげられます。インターネットは遠近の区別無しで情報の伝達が即座に行えます。当店では開店当初からホームページを自作で開設し、全国へ情報を発信して来ました。最近では、ヒット数も日増しに増え2万回を越えるに至りました。ホームページを介しての来店客も増え、テレビ・雑誌・ラジオ局等マスコミの取材もあり着実に効果は現れてきています。また、生そばの通信販売も出来るようホームページ上に掲示しています。現在の受注数は多くはありませんが今後の課題としてのショッピングモール出店のための足がかりとして研究しております。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| http://www.aie.ne.jp/moegino Email : moegino@aie.ne.jp |
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| (そば処もえぎ野代表 武田 修) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考資料1
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“山形県産そば”を全国ヘアピール |
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| ふるさと寒河江そば工房 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| これまでの地域活動 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 長ったらしい会の名前、「ふるさと寒河江そば工房」は、発足してから6年目を迎えました。 会員37名中、女性18名で男女半々であるが女性上位の会です。平均年齢は50代中頃とやや高めですが、若年者の新入会員が年に数名ずつ増えております。 会発足の発端は、男性陣から湧いていました。発足当時の男性会員たちのほとんどは、青少年野外活動の指導者が中心となっています。 野外活動の中でおもしろく、協力しあって出来る食事づくりはないものかの課題から「そば打ち」が持ち上がったのが10数年前のことです。当初は見よう見まね、試行錯誤は勿論、著にかかる「そば」など打てるはずがない。この様な苦労を見かねてプロが手ほどきをしてくれたのが始まりです。 野外活動に参加した子供たちから次第に「そば打ち」の話題が広まり、評判を聞きつけたのが、JAの周年観光を担当する観光農業課です。JAさがえ西村山には、プロの仕掛け人がいて、その仕掛け人に乗せられて現在に至ったわけです。 仕掛け人、工藤順一氏日く「寒河江の目玉商品さくらんぽに続く観光の起爆剤となるものが欲しい。昔伝来のそば打ちと現代のそば打ちをマッチさせ、『新しい寒河江のそば』を作って観光の目玉にしたいので、協力していただきたい。」と野外活動を指導している団体に誘いがかかりました。 野外活動の指導者の大半は農業を主体としている人たちで、即座にOKのサインが出ました。 JAでは、農協婦人部を中心に郷土に伝わる「そば打ち」伝承者を探し集め、野外活動指導者と合体して「寒河江らしい打ち方」に統一するまで約1年を要しました。その間、粉の調達、道具の選定と購入に取りかかりました。 発足当時の会員25名は、事業運営が成り立たなくなった場合のことを考え、道具一式を自前で購入して、会に貸し出すことで準備が整いました。JA観光では「さくらんぼ狩りとそば打ち」をセットにした商品で宣伝して、観光客を迎えることになりました。この話題を聞いた山形市内のそば屋さんで組織する「そば研究会」が「山形そばの名前を汚すのではないか」と心配の余り、私たちを直接指導して下さることになり、平成7年1月から週1回、3ケ月の特訓を受けることとなりました。 こうして、「ふるさと寒河江そば工房」は平成7年4月10日に産声を上げることになったわけです。 この年の誘客1,100名、発足は上々のスタートとなり、秋には、先進地福島県山都町に全員で研修に出かけました。 こうしてスタートしたそば工房にも、接客、衣装の統一などの課題を少しずつの改善しつつ、そば打ち技術の向上にも心がけました。 そば打ち道具も、客数にあわせて少しずつ増やしました。金額の張る「そば包丁」は地元の鍛冶屋さんお願いして打ってもらっています。鍛冶屋さんも初めてのことであり、互いに意見を出し合い、手頃な包丁が出来上がるまで2年を費やしました。そば包丁の出来栄えが評判になり、地元の新聞に大きく報じられ、地域産業の振興にも役立っています。 平成8年には、長野県戸隠村への視察研修を行いました。また、この年、誘客約1,300名となり、年間を通した誘客が可能になりました。 平成9年には、福井県で開催された第2回全日本素人そば打ち大会に選手を派遣しました。全国的なそば文化を振興する組織があり、全国の素人そば打ち大会の様子を見聞し研究した成果を、早速、第1回「山形そば打ち素人名人大会」(JA主催・ふるさと寒河江そば工房主管)で開催することにしました。 大会を主管することにより、会員の技術力向上に大変な成果を得ることで、停滞気味の「山形そば」に活を入れる意気込みが生まれました。 この年の誘客数約1,500名、会員も少しずつ増え出しました。 平成10年3月、栃木県素人そば打ち名人大会の運営視察を兼ね選手2名を派遣し、この大会で大沼保会員が優秀賃を獲得するまでに技術が向上しました。12月に第2回「山形素人そば打ち名人大会」を主管し、会員から準名人を排出するまでになりました。 この年の観光誘致客1,800名に達し、平成11年は、観光誘致客2,000名突破を目標に掲げました。 体験学習を目的に高等学校の修学旅行が数校来たことにより一挙にお客様が増えたため、新たな道具の調達や大きな会場の手当など会場の設定に苦慮しながらも対応できる体制が整ったのと、会員の自信にもつながりました。 対応人数も、一度に100名をまかなえる体制が整備され、9月には、北海道幌加内町にそば祭りを全員で視察研修に出かけました。長い道中の中、「山形素人そば打ち大会」の大会運営について検討が重ねられ、「女子の部」と「団体の部」を新たにできないかを検討することになりました。12月は、第3回「山形素人そば打ち名人大会」を主管し、会員の中から初めて名人が誕生したことが大会運営と技術向上に大きな励みになりました。 この大会から「女子の部」と「団体の部」を創設しました。「女子の部」は、「体格上不利な面がある」と異論を唱えた会員の提言で実現したものです。試技内容は800gに変更し、ルールは同じにしました。「団体の部」は、次のような経緯から創設されました。 山形素人そば打ち大会には、県外からの参加者も多く、前日からお出でになる方もおり、交流会の場でもチームを作れば、会員同士の技術や地域間交流にも役立つのでは、と言う発想と地域全体のレベルを見いだすことと、互いの連係プレーでどのようになるか、参加者の娯楽として捉えればと言う考えからの発想で実現しました。 |
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| 参考までにルールは、次の通りです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| この団体戦は、出場者にとって評判がよいのです。大会運営や反省会での話題が沸騰し、大会の目玉として長く続けることになりました。大会の反省会を臨時総会に切り替え、「全国麺類文化地域間交流推進協議会」入会の申請が満場一致で採択され、入会の手続きを開始しました。 この年の誘客数は2,200人を突破しました。平成12年7月全麺協への入会承認が決定しました。10月秋田県皆瀬村とことん山そば道場視察研修を行い、10割そばへの挑戦で技術面の新たな挑戦目標ができました。 第4回「山形素人そば打ち大会」を主管し、団体戦のルールを再検討して大会運営を盛り上げることにしました。 |
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これからの展望 |
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| 現在の目標は、全国大会を山形県寒河江市に誘致することです。手始めに、段位認定大会の開催を行うのが当面の目標です。 現在の山形県は、そば粉の消費量が全国比で5本の指に入る「そば粉」消費県と言われています。もっと山形県のそばをもっと全国にアピールしたい。 そのためには、県内のそばグループとの連携が必要と考えています。そのためにも、全麺協に入会したのが大きな励みになり、これを活かし、全麺協と行政面との協力と支援を仰ぎながら活動を活発化させてまいりますのでよろしくお願い申し上げます。 |
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| (ふるさと寒河江そば工房会長 松田伸一) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そば文化の普及を目的に“楽農倶楽部”を発足 |
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| 赤羽 章司(長野県塩尻市) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 長野県には戸隠・黒姫地域をはじめとして、上田・佐久地方、安曇野、木曽谷、伊那谷など多くのソバ生産地があります。私はその中で安曇野地域にある奈川村において、農家の方に指導と協力をいただきながら当地の在来種の栽培に取り組んでいます。在来種は小粒ながら実が充実し、良質なそば粉が採れるのですが現在では外来種との交配が進み、なかなかその維持は難しい状況にあります。またそばの収穫方法は、今でも昔ながらの手刈り、天日干し、手作業による脱穀といった工程が守られており、それを継承していきたいと考えています。今後はそば打ちの技術に関して、その地域に受け継がれている方法を基本としながら、さらに現代の効率的技術を加味して、より質の高いそば打ちを目指します。また奈川村ではそば文化の普及と拡大を目的として、一般市民を対象に“楽農倶楽部”という組織をつくり、そばの栽培から収穫、そしてそば会まで開催していますので、そこで多少なりとも貢献したいと考えています。最後になりましたが、私は「美味しいそば」をつくるためには、そばの微細構造を知る必要があると考え、臼挽きそば粉と機械挽きそば粉の比較を以下の写真でご紹介いたします。 |
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